2005HKtitle

2005.1120 sun


 今日はW嬢が一日早く帰国する。正味2日ほどの滞在で(しかも一日はマカオ)どのくらい堪能できたのか心許ないが、初めてその国に来た時の感覚というのが一番貴重だと思うので、本人が楽しかったのならいいなあと思う。今回ほとんど部屋で寝るだけで、ホテルの施設などほとんど活用していなかったのだが今日は朝起きて、地階のカフェでお茶を飲んで、一応そこの客のためだけ、と言う事になっているパソコンでメールをチェックしてみたりするが、自分宛にはほぼDMのみ、別にわざわざ海外から見なくても全然平気なものだった。イマイズミコーイチは毎日来ている大量のスパムを削除していたようだ。
 10時半頃ホテルを出て、ここから空港まで行くのに一番スムーズだということで、まずは地下鉄で中環に行く。ここから機上線(日本で言えば成田エクスプレス)に乗れる。しかも駅で航空会社のチェックインが出来るので、スーツケースをここで預けてしまえばあとは手荷物だけ持って空港に行けばいいので、翌日僕らもやってみたがこれがすごく便利なのだった。発券が済んでしまったので、2時間前に空港に行く必要もなくてヨユ-、ここまで来ればもう大丈夫だろうと安心してW嬢を見送る。がら空きの電車に、何故か進行方向に背を向けて座ったW嬢は手を振って、背中から空港へ向かっていった。またね、と言っても沖縄だからねえ、香港ー東京間よりは近いけどさ、と名残惜しい。見送ってさて、今日は2回目の上映がこの近くであるので、そのまま歩いて会場を探す。やたらでかい駅ビルなので迷いそうだが何とか見つけ、また来る時に間違わないように行き方を憶える。これから行ったことのない街へ行くからだ。

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 「九龍城」の「魔窟」と言われた建物が以前の香港国際空港近くにあったのはもうずいぶん前のこと、僕はもちろん本でしか知らないし、イマイズミコーイチは昔むかし手前まで行ったが、「出てこられなくなるから」と言われ中に入ったことは無いと言う。その「魔窟」も空港の移転、中国返還などを機に取り壊され、今は跡地が公園になっているらしい。写真を見る限りではとにかく「建築計画」というものとはおよそ無縁の増殖をしていった無軌道な建物で、しかも中国からも香港政庁からも干渉を受けない一種無法地帯だったようで(しかし市街でも相当アナーキーなビルがあるが、それ以上ってどういうことだろ)、見たかったとは思うが仕方ない。でもいわゆる香港市街とは違う所に行ってみたかったので、じゃあここにしようか、と僕が希望したのだったが、ガイドブックにも詳しい行き方が書いておらず、観光地であればコンビニまで載っている詳細地図からも外れてしまっている。とにかく最寄りまではフェリーで行ける、と言うことだけは判ったので中環から東へ一直線、北角(ボッコク)という駅まで地下鉄に乗る。20分ほど乗っただろうか、駅を出ると割と近くに、マカオに行った時使ったのと同じフェリー会社の乗り場があった。チケットはなくて、改札に直接硬貨を入れて中に入ると「九龍城行き」の乗り場があり、フェリーに入ると5分くらいで船は出発した。大海原を行くわけではないので、けっこう対岸の景色が見えてたのしい。海岸ギリギリまで高い建物が建っていたりまたは建設中だったりして、イマイズミコーイチは「こういうのが香港らしい景色」と言う。この辺は地震がないのでド高い建物が多いそうだけど、海水面が上昇したらどうするんでしょうな。

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 着いた。目の前に広がるのは広大なバスターミナル。しええ、交通手段がバス、ってことはこれに乗らないと行きたいところにはたどり着けないという事だろう。マズいなあ、バス苦手だようと一応それぞれの停留所に止まっている車の路線図や終点を見てみるが案の定判らない。大体自分が行きたいところがどこなのかもあやふやなんだもの。ここから乗るのは諦め、取りあえず勘で歩いてみる。海から離れるとすぐに商店街や市街地でも見られる街並みになるが、何か目的地と微妙に違う感じがする。街のたたずまいは本当にちょっと郊外の住宅地といった感じ、とにかく大通りに出ないと、と焦るがガイドブック(九龍城のせまっこいエリアしか詳細が載ってない)に名前の見える通りは一向に出てこない。けっこう歩いてしまい、あり~、とか思っていると、やっと大きな道路に行き当たった。ここはバスが通っている。たくさんあるバス停を見てみるが、どうにもよく判らない、仕方ないので一番入りやすそうと言うことでセブンイレブンに入って、お客が一人も居なかったのを幸い、これまた一人で店番(という感じ、コンビニなのに)していたおばさんにガイドブックの地図を見せて「どうやって行ったらいい?」と聞いてみる。親切なおばさんは僕程度の英語は判るらしかったのでしばし地図を上にしたり下にしたりしていたがやがて、「バスに乗ればいい、今居るこっち側の道から×番か、××番の路線のに乗って、5つめのバス停で降りれば着くから」と教えてくれた。いい人で良かった。何も買わない自分に何度も「5番目よ、1・2・3・4・5、オッケ?」と指を折って念を押し、帰りしな振り返った自分に笑って手を振ってくれた。ありがとう。教わった通りに乗り、5番目のバス停辺りに差し掛かると地図に載っているホテルが見えてきた。このあたりが恐らく「九龍城区」の中心あたり、北側に「魔窟」跡地があるはずだ。縦横の通りが判りやすいのでまずは地図の通りに歩いてみる。この辺りはタイ人街だと言うことなのだが、そう書かれた所に行ってみてもそんなにはタイ語の氾濫も無い。タイ料理の店はあったけど。別の通りで立派なお茶の店を見つけたが、あまりに地元の店、という感じなので敷居が高くて入れなかった。そもそもが外国人観光客なんてあんまり来ないんだろう。ふらふらしていると交差点で数名の人が縦長の手提げ袋に入った何かを通る人に配っている。受け取る人もいるし、そうじゃない人もいるが僕らにもくれるかな、と試しに近寄ってみると2人ともに渡してくれた。袋は黄土色の不織布で出来ており、片側に「九龍城区議会」という文字と赤地に黄色で鳳凰と「城」の字をデザインしたロゴマーク、どうやら行政が配布しているものみたいだ。中身は、パンフか何かかと思っていたらちょっと重いので開けてみると、確かにパンフレットも入っているのだがメインはハンドソープのボトル。同封のパンフを見るとどうやら鳥インフルエンザ予防のためにこのハンドソープで手洗いして、鶏肉を食べる時にはよく加熱しましょう、というキャンペーンなのだった。いいもんくれるなあ、というか結構危機感を抱いているのだろうか。角を曲がってまた別の道に戻り、仏具屋を見つけたので線香を選んでみる。冷静に考えると線香買ってどうする仏壇もないのにさ、なのだが旅行中は何か買いたくなるので埃っぽい棚にごちゃごちゃと置いてある線香群の中からいくつか手にとって香りを確かめていると、店のおばさんがいろいろ話しかけてくれる。もちろん判らない。「外国人ですよ」というアピールをするために「う~」とか言って後はひたすらニコニコしていたが、おばさんそんなのは一向に意に介さない様子で、僕が何かを触るたびに説明らしいことをしてくれる。その時着ていたジャージがタイ語のプリントのあるヤツだったので、もしかしたらここに来たてのタイ人だと思ったのかも知れないが。仕方ないので(と言うことはないか)結局一番いい匂いだったその「純烏沈臥香」(いわゆる沈香、1000円くらい)を買うことにする。引き続きムダかもしれない外人アピールをしつつ「おっきい札でいい?」とジェスチャーで示してみると、「仕方ないねえ」といった感じでお釣りをくれたので、これでやっと高額紙幣が全部くずれたのだった。さて腹が減ったのでガイドブックにも載っていた食堂に入ってみる。ランチセット(ごっついレモンティーが付いてきた)の「チキンとなんちゃら」と「ポークとなんちゃら」を頼んだら、予想外にハヤシライス風のものが出てきてしまって困った。僕は旨いと思うけどさ、香港来て食べるものじゃないよなあ、とちと沈む。ここはポーチャイハンという土鍋釜飯が旨くて有名らしいのだが残念ながら出るのは夕方からで、遅くまで居られない僕らはお預けを食らったのだった。
 中環での上映が割と早めの時間なので、ここに居られる時間が残り少なくなってきた。例の魔窟跡公園はこの先に見えているアレか、と北上(たぶん)する。うむ、ただの公園です。かつての面影を思わせるものが無いのは仕方ないとして、狭すぎやしないだろうか。何か来るところを間違っている気もするが本当に時間が無くなってきたので、トイレの前で一服してからフェリー乗り場に戻ることにする。空は快晴、もっとのんびりしたいであるなあ。探してみると公園沿いの道にはいくつものバス停があるが、フェリー乗り場へ行ける路線が見つからない。じゃあ仕方ないとタクシーを拾おうか、ときょろきょろしている僕らを機敏に見つけたタクシーが6メートルくらい先にキキーと止まった。さっき通り過ぎる時に運転手と目があったような気がしたが、アレで判ったとしたならこの人はかなりアイコンタクトに長けた人だ、と評価をしつつ、「瑪頭(船着き場)」と書いたメモを見せると運ちゃんは無言で車を出した。香港では初のタクシー、これでヘリコプター(マカオ行きにはヘリもあるので)以外の乗り物には大体乗ったなあ。道は渋滞していたが、タクシーはひょいと裏道を抜けていく。街を抜けて交通量の少ない大通りに出るとスピードを上げて、すぐに海岸沿いの風景が見えてきた。来た時の感じからするともうすぐだ。有能ドライバーにお釣りはチップとして進呈して、どっかな、とフェリー乗り場へと急いだのだった。時間がなかったのは失敗だったけど、前日のマカオでは不完全燃焼だった「何でもないところでうろつく」というのには適した街だったので、また来たい。今度こそはポーチャイハン。

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 全く時刻表通りでないフェリーが20分遅れくらいで出発し、北角に着いてお札で料金を払おうとしたらどうしても受け付けてくれない(要はお釣りを出してくれないんだが、じゃあそこに立っていたおっさんは何のために居たのか、無賃乗船阻止要員か?)のに困ったりもしたが、何とか改札を抜けることが出来た。行きにも通ったが改札を出てすぐの所はいくつかの魚屋が店を出していて、小規模な魚市場である。別段売り方は日本とそう違うわけでもないのだが、売ってるものの中にどう見てもカブトガニ、というのがあり我邦では特別天然記念物ですが、よろし? と記念に写真を撮った。そこから地下鉄で中環に戻って上映会場に着いたのはギリギリの時間、着いているとヴィッキーが居て、僕らにチケットを渡してくれた。今日の会場はパラスIFCと言うやはり複合館。一昨日の会場よりは席が少なく、建物の造りはホテルみたいだ。入場料は前の会場より10$高い。今度は指定席なので先に座って待っていると、最初はまばらだった客席に、やがてそこそこのお客さんが入ってきて、7割くらいは埋まったかな、と。なんか若い男の子のカップルと香港人&欧米人の組み合わせが目立つよな気がする。印象としては前の会場よりおしゃれくんが多いかな、と思ったら、やはり2つの劇場は客層が違うのだそうで、一昨日のブロードウェイ・シネマテークは学生やアーティスト(と言ってもねえ)が多く、こっちはもちっとアーバン(ねえ)な感じとのこと、いまいち棲み分けが明確でない説明でしたけど、ともかく定時に上映が始まる。映像は、前の会場では光り過ぎて白っぽくなってたし音も割れていて愕然としたのだったが、ここはかなり良くて(というかこれが普通だろう)安心する。肝心の反応は、前回と同じ、かやや薄いか。それにしても映画が終わってクレジットが流れ出した途端にみんな席を立ってしまうし会場は明るくなってしまうしで何をそんなに急ぐのか、後で聞いてみたらそれが普通、との事だったけれど、これだとクレジットの後におまけ的なオチを付けた「ノーティー・ボーイズ」などやったら誰も最後まで見てくれないだろう、とここまで書いてそういや以前ジャカルタで、見事にそれをやられたのだった、と思い出してしまった。ワールドスタンダードはそっちですか、ちぇ。

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 今日は監督挨拶もQ&Aも無いので気楽に上映は終わり、(相変わらずスタッフの姿の見えない映画祭だ)と思いながらも終わったねえ、と気が抜ける。時刻はまだ夕方、今日すべての上映が終わってからプログラマーの女の子とご飯食べることになっているが、それまでにはまだ時間があるので最後に香港を一巡りすることにする。香港は例えば新宿二丁目みたいにお店が集中した箇所はなくて、ゲイバーにせよ点在しているので自力では巡りにくい。この映画祭のスポンサーである「DS」というフリーペーパーによると、ブックショップは2軒あるというのでまずは隣駅の尖沙咀へ。駅近くのとあるビルにあった「la male」という店はドアにピンク色したキース・ヘリングのポスターが貼ってある。呼び鈴を押すと扉が開き、こぢんまりした店に入ることが出来た。店員は半袖のおにいさんひとり、置いてあるのは本と雑誌、あとビデオとか下着だけど、品揃えはこれだけ?といった印象。香港の書店事情はよく判らないながら、どうも最近まで普通の本屋もあんまり発達していなかったらしく、ゲイ雑誌類は通り沿いに沢山ある露店(あとコンビニ)にも必ず並んでいて、どこでも買えるというかんじ、ここにある雑誌もそういった所で見掛けたものばかりだった。それも僕らの目には香港のものか台湾のものか判断がつかないのだ。以前香港に来た時には、旺角に似たようなゲイショップがあったけど、その旺角にある例のオタクビルの上から下まで品物積みましたでもまだまだ積むぞ、という感じの品揃えとは、どちらの店も真逆なのだった。ここでは何も買わないですぐ出てしまい、しばらくその辺をうろうろ歩いていたら流石にちょっとだけ、夜風が肌寒く感じられてきた。近くにあるキンバリーホテルのお茶屋で茶葉など(高かったので買わない)を見た後、電車で旺角へ行って、「DS」に載っていたもう一軒の本屋を探す。センター街に秋葉原並みの隙間無い建物を集めた感じの外観の街の中にあったビルを上がるとその店「小鉄書店」はレインボーカラーでKOTETSU、とアルファベット表記してあったので異様に期待が高まる。先に入っていたイマイズミコーイチが、外で写真を撮っていた僕をしきりに呼ぶ。入ってみると、こちらは商品山積み、しかも漫画ばっか。つうかここ中古漫画屋じゃん。ふと別格扱いでガラスケースに日本のゲイ雑誌が入っている。一応値段が付いているけど明らかに半分飾りだ。どうやらこの店は漫画屋でかつ店主がゲイなので、映画祭や「DS」のスポンサーやっているという事らしい。「このスタッフオンリーという扉の向こうにスッケベーなVCDなどが山積みされているのでは」とイマイズミコーイチは期待を込めて言うのだが、確かめようもないので退散する。入り口まではすごくいいかんじだったんだけどなあ。
 結局ぼくらが欣喜雀躍するような「ゲイショップ」は見つけられず、どうも香港にはそういう店舗は発達してないのかも知れない、と思った。雑誌とかも入手は露店か、ネットなのかも。そういえば男人街では大人のおもちゃ屋露店がいっぱいあってしかもお客さんは女の人ばかり、バイブとか選んでましたけど(若い娘さんが積極的、とか日本語で小声で喚いて横を通り過ぎた)、日本と「こっそり」の意味合いが違うのかも知れません。ホテルに戻るまでの間にスーパーで調味料をまた買い足し(豆鼓を見つけて喜ぶ僕)、昨日のお茶屋で友人にあげるお茶を買って(「あら、昨日で買い足りなかったの?」とお店の人に言われた)、初めて見つけたフツー(日本の感覚で言うと)の本屋で香港全図を見つけ(半ば諦めていたので自分、小躍りする)買い、ホテルの戻ったのが8時半も過ぎ、スタッフと約束の時間まで30分もない。バスルームで一服して(まあ、バレてるな)顔を洗って、お迎えが居るはずのロビーへ向かった。
 ホテルのロビーは天井が高く、インテリアも照明もお上品と成金趣味の紙一重だが、いずれにせよ僕らがそぐわしくないのは確かなことなので、遠慮せずに日本から持ってきた和菓子の袋をぶんぶん振って歩く、と柱周りのソファに既に2人居て、一人は映画祭のデニスさん(女性)、もう一人は同じプログラムで上映されたT氏(男性)だった。例の有能ゲストコーディネーターのヴィッキーは別のゲストと一緒にいるので来られないとの事。帰国前夜になってようやくデニスにお土産を渡す。これでやっと荷物が減る。デニスが友達を待っていると言うのでしばらく話をしていたが、その間靴を脱いでソファに上がっていたイマイズミコーイチはホテルマンに2回注意されたのだった。
 デニスが待っているという友達はなかなか現れず、彼女はしきりに携帯で連絡を取っているが、どうもうまく待ち合わせられていないらしい。「下に居るみたい」と言うのでホテルの外へ出る、すると建物の中からメガネを掛けた女の子が出てきた。散々迷わされてなんかちょっと怒ってるみたいだが(僕らのせいではないし)と構わず挨拶をして、5人で彌敦道を歩き出した。やがてデニスと友達の2人はレストランに入っていくので続いて入ると、そこら中に水槽があって活魚やら海老やら泳いでいる。海鮮が売りの店らしい。白いテーブルクロスの掛かった円卓に座り、普段飲まないビールをすこし頼む。料理はもちろんよく判らないのでお任せしてしまい、左隣に座ったデニスのお友達と話をしてみる。日本語が少し出来るので通訳と言う意味でデニスが呼んだらしいのだが、「映画については詳しくなくて…」となんだか遠慮するので英語と日本語をごた混ぜにして話をする。以前名古屋に居たことがあるらしかった。彼女は映画祭のスタッフでもないので、もっぱらデニスに香港L&G映画祭について聞く。レズビアンとゲイのプログラムが開催期間内ではっきりと分離しているのは、やはりお互いに観客の行き来がないからで、分けてまとめた方がお客さんも来やすい、と言う。レズビアンとゲイ自体が没交渉なの?と聞くと「そうだ」とも言う。デニス自身は「シンカンセン」は面白いし好きだ、と言ってくれたが、今の香港で男女混合プログラムをやるのは現実的でないらしい。プログラムを見る限り、今年のゲイ部門は商業作品メイン、レズビアン部門はアジアのインディーズ作品メイン、という感じだが、それもそれぞれのプログラマーの意向を反映していると言う。デニスはレズビアンプログラムの一部を担当したとの事だが、僕らの作品を選んだプログラマーはこの時香港におらず、会うことが出来なかった。つうより男のスタッフにはほぼ誰にも、会っていない。5年前とあまり運営形態は変わらないみたいだ。ボランティアスタッフも沢山居る、とは度々聞くのだがどこにいるのか、とにかく「全員が集まる」ということが無いらしく、これまでに行った映画祭とはちょっと違った雰囲気だった。
 次々と料理が運ばれてくる。中華料理に詳しくないので料理の名前が判らないが、スープ、海鮮の炒めたの、野菜、蟹、などなど。食べながら日本のゲイビデオの値段の話になって(なんでだろ?)、女子2人の食いつきが異様にいいのでついつい話が白熱するが、彼女たちの結論からすると「すっごい、高いね」と言うことだった。あと面白かったのはデニスに、「どこか別の国のL&G映画祭に行ったことがある?」と聞いてみると「ジンバブエの映画祭を手伝ったことがある」という答えが返ってきた時で、ジンバブエ、ってアフリカのですか。アフリカには南アは別として無いもんだと思ってましたが、あったのか。でもそれも「ごくごく内輪でやって、一回で終わってしまった」と言っていた。しかしすごい。
 たくさん食べて、話をして、いろいろ満腹になって店を出た。もう夜も遅いし、明日の出発は早い。歩いてすぐのホテルまで見送ってもらってイマイズミコーイチ、「そうだ、広東語での『粥』の発音を教えてもらえない?」とデニスに言う。デニスは笑ってそれを伝授していた。「これで皮蛋粥の注文もバッチリ」とえらい満足げであった。客用エレベーターの前まで来てくれたデニスにこれまでのお礼と、またね、を言って別れた。

2005.1117  来港
2005.1118  第一回上映
2005.1119  マカオへ
2005.1120  第二回上映
2005.1121  帰国