2007.0831, fri
遅めに起床、ここは朝飯付きだというので中庭のテーブルについて「ごはんごはん」と言ってみたら「朝食は終わってしまいました」と言われがっくりし、でもお金を払えば普通に頼めるのでナシゴレンを注文する。自分は鶏肉入り、固まり肉が食えないイマイズミコーイチは「パイナップル」というのを選んでみたらビーフが入っていてちょっと沈没していましたが味は良く、あっというまに平らげる。食後にお茶を飲んで、昼間はどこ行きましょっか、と相談してスラバヤ通り(骨董街)に行くことにする。田口さんは既に行って古い茶器を買ったそうなのだが、自分は以前そこでレコードを買ったことがあり、その時のあまりの脱力を思い出すとまた行こうか、という気になった。地図で見ると頑張れば歩けなくもなさそうだけど、電車で一駅だから、今回は挑戦してみようかと最寄り駅に向かう。前にどこかで見掛けた「電車」には扉が無く、しかも屋根の上に人が乗っているというおそろしいもんだったのだが、一応見てみて無理そうだったらタクシーを拾ってみましょう、と炎天下の道路を歩く。インドネシアは歩行者用信号というものがあまりなく、では歩行者はどうやって道を横断しているのか、と言えば適当に横断している。この適当、というのが慣れていないと難しい。車の方でもある程度は渡ってくる人を予期して走っているのだが、「取りあえず車が途切れてから…」などと思ってもいつまで経っても車は途切れない。なので目の前を車やバイクが通り、次のが来るまでに渡れそうだ、と判断したら瞬時に判断して手をやや下げ気味にして渡る。田口さんはさすがに慣れたものですいすい渡っていくがまだ僕らはおっかなびっくり、必要以上にダッシュしたりしてこけそうになる。3日目くらいからはだいぶうまくなったのは良かったが、後日東京に帰ってからもついこれをやってしまって肝を冷やすことになる。
向こうが駅、手前の3台はバジャイという準タクシー
駅に近づくと丁度電車がホームに入ってきたところ、間近で車体を見ることが出来たがやはり扉はない。でもあまり混んでないみたいなので乗ってみましょう一駅で死んだりはしないでしょうと駅舎に入ると、なんというか軽くスラム化してまして、ゴミと商品がグラデーションになったまま駅の周りをぐるりと取り囲んでいるのでした。昼間だけど照明が日本基準からするとかなり暗いので、まるで閉店したデパートみたいだが、このゴンダンディア駅からは上下線一本ずつしか出ていないので切符は窓口で目的地を叫べばいいのだった。なので元気良く「チキニ!」と叫んで1,500インドネシアルピア(約19.5円)払ってホームへ、時刻表を見るとまだ随分ありそうだけど、しかし本数少ないねえ、とか言い終わらないウチに電車が来たけど、これが遅れているのか早いのか、全然判らないもののそもそもこれを電車と見なすからいけないのであって、今から乗るのは電車型のバスだと思うことにする。驚いたのは来た車両が日本のどこかの路線のお古だったことで、行き先を表示する外側の電光掲示板には「試運転」と付きっぱなし、ちなみにこの車両には扉があったのだがそこには見覚えのあるクマさんの絵と共に「ひらくドアにごちゅういください」と日本語で書いてあるのがそのままになっていた。
終日試運転
チキニ駅に着き、田口さんのナビゲーションで骨董街に向かう。あ、あのドブ川には見覚えが、と思っていたら当たりで、川沿いに骨董、というかアンティークというかセコハンというか、とにかく新品以外のものがずらっと並んでいるのだった。でも多分、骨董風の民芸品や偽物も大量に混ざっていると思われる。骨董そのものにはあんまり惹かれないので、たらたら歩いてヘンなもの(例;海軍払い下げ品の潜水ヘルメットや気圧計)を置いている店に引っかっかたりしつつも、エンドオヴロードの辺りでやっとレコード屋エリアにたどり着いた。今回はもう10インチしか買わない、と決めて他のLPには目もくれず探しているとそこの店主がやってきて(どこか行ってて無人だった)、あれもこれも、と出してくるが、その中に美空ひばり童謡集とザ・ピーナッツがあってかるくたまげる。結局その2枚とコーラン、英国プレスの中華歌謡、インドネシア歌謡2枚と6枚選んで交渉開始、相手は最初180,000ルピア(約2,340円)と言うので、「80,000」と半額以下の無理目の値段から始めて電卓をポチポチ押しながら結局110,000ルピア(約1,430円)で握手をした。結局ほぼ自分の買い物だけになってしまったが戻ろうか、と元来た道を引き返し、チキニ駅へ。駅構内は外より涼しいので、通路の窓下のスペースとかで寝ている人とかいる。さっぱり当てにならない時刻表によると電車はあと20分ほど後のようだがもちろん正確に来る訳もなくて、割とすぐ到着した。今度の車両には扉が無く、日本製でもなかった。イマイズミコーイチはそのぽっかり空いたドア部分の穴から身を乗り出して景色を見たりしている。あっという間に到着、改札を出ようとすると呼び止められ、駅員さんに何か言われる。何か切符が問題みたいだけど…と思っていたら駅員は他の客が渡していった切符を見せてくるのだが、自分たちの渡した切符は色が違っていたのでようやく判った。僕らは反対方面の切符を買ってしまっていたのだ。チキニ駅ではもう駅名を言わずに適当な窓口で黙って1,500ルピア渡して切符を買ったのだが、それがたまたま反対方面の窓口だったらしい。身振り手振りも交えて「間違えただけです」と主張してみたらやがて解放してくれた。
骨董街の背後で建設中のビル、何で途中だけ完成してるのか
宿に戻る前にメールチェックしておこうか、と前にも入ったことのあるインターネットカフェ(と書いてあるが中古オフィス家具販売店みたいな雑然とした造り、でも一応メニューもある)でインターネットに接続するが、回線が遅いのか機械がとろいのか全然つながらない。結局数十件の迷惑メールが来ているのを確認しただけで打ち止め、セマラ6に帰ることにした。途中、「蚊取線香の灰皿をどうしよう」と言っていた田口さんが歩道ででかい葉っぱが落ちているのを見つけ、「あ、これでいいや」と拾った瞬間に渋滞で止まっていたタクシーの運ちゃんがそれを見つけて大笑いしながら何事か話しかけていたが、ジェスチャーからすると「ははは、暑いからね~。それであおぎなよ」と言われているらしかった。
部屋で一休みしてレコードを置き、「上映セット」をカバンに詰めてまた出掛ける。今日の上映会場、国際交流基金ジャカルタ日本文化センター(通販会社じゃありません)では田口弘樹写真展を開催中なので、上映でバタバタする前に展示を見ておこうと。この展覧会の準備のために一週間先乗りして設営をしていた田口さんはもう一人でバスに乗れるので、僕らは何も考えずに付いていく。素人でも比較的乗りやすい「トランスジャカルタ」というバスの最寄りはサリナという地元のデパートの向かいから出ているというので、以前ジョンに「ここが一番レートがいい」と聞いていた両替所で一万円を換金するが、イマイズミコーイチが空港で換えたら¥10,000=rp.765,000だったのがここではrp.780,000、びっくりする程には違わない。3年前はrp.860,000だったから日本円、がんばれ。物の値段がパッと見判りづらいのだが、表示価格に0.013を掛けると大体日本円で幾らかが判る。
「トランスジャカルタ」以外にもバスはあるが、それはもう素人には乗りこなせないものでやっぱり扉が閉まらない、つうか無い。後部に車掌(強いて言えば)が乗っていて、「XXに行くぞ~」と言いながら走ってきてそれを聞いて自分の行きたい方向だったら合図して乗る、とかって無理。でもTrans Jakartaは専用レーンと乗り場があって料金も前払い、rp.3,500(約45.5円)を払ってプラスチック製の切符を受け取り、ゲートを通ったら左右どちらかの行きたい方向へ並んでいればバスが来る。バスの乗降車口には専用係員が乗っていて、車内がいっぱいになるとそれ以上は乗せてくれないので2~3台やり過ごすのが普通、下手をすると3人がはぐれる可能性もあるので一応降りるべきバス停を教えてもらって用心する。車内は結構混んでるけど、料金がちょっと高いだけあってきれいだし、スリも少ない(らしい)。日本文化センター最寄りバス停で降りると、前方にはでかいオフィスビルがあるんだけどそこに至るまでの歩道はほじくり返されてボッコボコ、その脇は空き地で山羊飼ってたりとか、建設中なのか遺棄されたのか判らない建物もたくさんあるし、さては土地が余ってやがるな。
バス改札内部から外を撮影
結構厳重なセキュリティーチェックを受けて受付で「GUEST」のバッチをもらい、2階へ。エレベーターが着くといきなり立て札があって「PAMERAN FOTO_TAGUCHI HIROKI ← →」と貼り紙がしてある。ここはギャラリーではないので妙に広く、3つも部屋があるので展示も3つ。まずは図書室の手前にあるホールで「Living Together」の展示、HIV陽性者の手記を現地スタッフがインドネシア語訳してくれたものとポートレート。知り合い多し(自分@自室写真含む)で何かくすぐったい。それから映画『初戀』のスチール写真が数枚あり、メインは2部屋使っての主演のムラカミくんを撮り下ろした「Love Song」。大きなプリントで見ると全然印象が違うので…というより紙(=具体物)の持つ力とでも言うのか、それに打たれる。図書室でインターネットが使えるよ、というので行ってみたら「会員しか使っちゃダメ」と言われ、田口さんが説明をしてくれて使わせてもらえることになったのだけれど、やっぱり回線が遅くて全然はかどらないウチに閉室時間となり、尻切れで退出。メインの部屋には既に座席(100席強)が置いてあってスクリーンも置いてあるのだが、随分ちっちゃい。これは会場の広さからするとちょっと厳しいのでは、とイマイズミコーイチが言いだし、会場備え付けのスクリーンを引っ張り出してもらう。ここで映画祭スタッフで田口さんのアシスタントをしてくれていたレイラという女の子に紹介してもらい、彼女を通じて会場スタッフとのやりとりをする。出してもらった備え付けのスクリーンはプロジェクターの投影範囲からするとバカでかいのだが、それでも最初の可動式スクリーンよかずっといいでしょう、と正面に展示した写真がほぼ隠れてしまう、という難点には眼をつぶって、あとは技術スタッフにお任せすることにした。
「Living Together」の展示
上映まではまだ時間があるので煙草でも喫いに、と外まで行こうと(館内は一応禁煙)エレベーターに乗ったらレイラが「ヒロキ、どこ行くの?」と呼びかけたのだが勿論これは田口さんにであって自分ではない。つうか自分をヒロキと呼ぶのは実家の父上母上だけなので、こんなところでヒロキ呼ばわりされる筈もない、と全く反応しなかったら後でイマイズミコーイチに「自分と同じ名前なのに」とちょっと笑われた。一服して戻り、会場を覗いてみたらまだ投影テストをしていて、それがまた随分歪んだ画面なので自分も加わって台形補正やピント合わせやらをするが、スクリーンが垂直に降りていないという事もあってなかなか難しい。ま、こんなもんかと終わりにしたのだったが、画面の歪みよりもっと大事な事を考えなくてはいけなかったという事が上映直後に発覚するのだった。
受付テーブルには既にスタッフが待機している。そこに座っているスタッフは全員知らない顔で、前日ジョンに聞いたところでは数年前に僕らが会ったスタッフはみんな忙しく、今も続けているのはジョンを除くと一人だけ、という事だった。ちなみにメインが10人、当日ボランティアが5~60人と言っていた。で、この日いたスタッフの男の子が自己紹介をしてくれて「キティ・バダルと言います。ジョンの弟です」と言うのでひょえ、ついに家族まで、と思ったのだが後で聞いたら別に無理矢理かり出されているわけでも無さそうだった。日本から持ってきたポストカードとサントラCDを売りたいんだけど、と言うとキティくん、確認しますと言ってくれたのだがワタワタしていてその話が進まないままお客さんがぼちぼち集まり始め、これまでいなかった国際交流基金の日本人スタッフや日本語の出来る現地スタッフなどが続々と上の階から降りてきて、誰が誰やら、といった感じでやたら名刺を渡したり受け取ったり、その中に日本語の流暢なインドネシア人女性スタッフのディアナさんという方がいたので彼女にもっかい物販について聞いてみる。「ここで物を売るのは本当はダメなんですけど、手売りみたいなものなので今回はいいですよ」と言ってくれたのでキティくんに値段を伝えブツを渡し、開場ギリギリでショップハバカリもオープンした。
展示その2
お客さんはかなり並んでくれている。写真展を見てからそのまま、という人もいるみたいだ。19時スタートというのに開場が19時、まあここではこの上映しかないので別に気にする必要もないのだろうけれど、ロビーはかなり窮屈になってきたので入れればいいのに、とちょっと思っていたらやっと扉が開き、客入れが始まった。映画祭のスタッフが僕らを紹介してくれ軽く挨拶、会場が暗くなった。定石通り予告編やら映画祭のCMやら流れるのだが、『初戀』の予告編まで流れたのにはちょっと笑った。昨日ジョンと夕飯を食べているときに彼が、「今回は『初戀』をちゃんとプロモーションしようと思ったので予告編を送ってもらって各上映では必ず流すようにした」と言ってくれていたので、多分今日の動員もきっとその効果が何割かあるに違いないありがたい。僕らは右手一番後ろ付近に座っていたが、立ち見(多分会場スタッフ)もかなりいるし、なかなか盛況である。
展示その3、メイン会場
と思っていたら問題発覚。さっき調整したときに画面をめいっぱい広げてしまったため(僕らです)、下部に出る英語字幕が見づらい、つうか後ろの席に行くほどほとんど見えなくなり、その辺に座ってしまった人は俳優が何か喋るたびに背伸びして頭を左右に動かして見ている。わちゃあ。誰もいない会場で最後尾からみてうん、これでいいでしょう、とか言っていたおバカは(僕らです)その前に全部座られた状態をシミュレート出来ていなかったのでした素人素人バカバカバカ。なのでこれは後のQ&Aでお詫びをせねば、と思いつつ見る。そんなハンデがありつつも、お客さんの反応はいい。途中意味不明な箇所での笑いもあったがなかなかのってくれてるじゃないですか、と気が弛んでいたところに最後の不意打ちあり。ラストシーン、もうあと1分もないというところでDVDが止まる。会場全員で「あ~~~~~!!」と嘆息がもれ、それを繰り返すこと数度、何度か止まりつつもなんとかエンドクレジットに入ったところで拍手が起きたけど、半分くらいはおそらく安堵の拍手。エンドクレジットはまだ流れているのにスタッフは会場を明るくしてしまい、司会の子が「このあとQ&Aが…」とかアナウンスし出してしまった。何度上映してもこのシステムは変わらない、僕らは終わるまで待って欲しいのだけど、これは明日の上映ではナシにしてもらおう、と今回は諦める。
さてQ&A。通訳はリカちゃんという若い女の子。こういう仕事は初めてみたいなのでやや緊張気味&いきなりゲイ関係の質問だと言葉の意味が分からないのだろう、かなり苦労しているので途中さっきのディアナさんがヘルプで入り、ティーチインは進む。質問は以下のよう。
・日本ではゲイは受け入れられているか?
・俳優、制作者にゲイはいるのか
・制作費用やかかった日数など
・日本ではどのような反応だったか
・テーマは?
・何故ゲイをテーマにした映画を作るのか?
など。かなりたくさんの人から質問も出て、最後にそれぞれメッセージを、と言われたので自分は物販の宣伝と上映不具合のお詫びと、そんでもって上映中不可解だった反応について逆にお客さんに聞いてみた。「蚊取線香が映った途端にみんな笑ったけど、なんで?」と。したらまた笑いが起き、誰とは無しに答えてくれたのだが、リカちゃんが訳してくれたところによると「日本にも蚊がいるんだ、というのが意外で可笑しかったそうです」だって。終わった後に話しかけてきてくれる人も多かったし、一緒に写真を撮ったりして楽しいでした。機械操作をしていた文化センターの現地スタッフおっさんがいたのだが、イマイズミコーイチが彼を妙に気に入っていたので2ショットなどを撮って差し上げる。予告編のディスク差し替えに手間取ってヘンな画面が出る度に隣で「あのテクニカルとは無縁そうなおっさんが必死に操作してるかと思うとさ…」などと嬉しそうに言ってたが、きっと必死じゃないと思うがなぁ。
上映後、Q&A待ちのお客さん、手前のが「テクニカル」のおっさん
Q&A中にジョンらしき人が後ろの方でちょろちょろしているのが見えたのだが、どこか別の用事を済ませて来てくれたようだった。やがて近づいてきて「上映は成功だね、おめでとう」と言ってくれる。そうだね、テクニカル(おっさん+僕ら)がねえ…と言うのはあるけれども、お客さんは予想以上に来てくれたし、楽しんでくれたみたいだったから成功と言うことにします。ありがとう。ジョンは西欧人男性を伴っていて紹介してくれる。確かパンフに載っていたゲストのフランス人だろうか、と思っていたらやっぱりそうで、この人フィリップはパリで映画配給をやっている人なのだそうでした。この後みんなでご飯でも、という事だったのだが実は上映前にじゃかるた新聞という現地の邦字紙の取材を申し込まれていたので、そこのH野さんという若い(20代前半)男性記者も同行することになった。2台のタクシーに分乗してやがて着いたのは以前僕らも行ったことのあるイタリア料理屋。ピザとパスタを頼み、ビール飲みながら屋外席で取材が始まった。H野さんは赴任して1年くらいで、別にゲイじゃないのだが何か面白そう、というので取材に来てくれたらしい。ここで上映をしてみてどうですか、とか日本との違いは?など聞かれるので、あんまり国全体の話は出来ないから極個人的な印象などを答える。とりあえずH野さんは全然構えないニュートラルな感じで聞いてくれるので、こちらも力まずに話をすることができたが、社内では「今からクィア映画祭の取材に行くよ」と言ったところ「え~?」な感じの反応する人も居た、らしい。
取材中、ジョンにもインタビュー
取材で食事が遅れがちな自分らを尻目にジョン・ジョン弟・フィリップは食事が終わりかかり、この店名物のアイスクリームをもらってくる、とか言ってフィリップはでかいアイスクリームを超嬉しそうに食べている。いいな~、でもウチらのラザニアがまだ、とか思っていたらやっと来て喰う。うまい。あっという間にラザニアとパスタを食べ終わってアイスアイス、とイマイズミコーイチとアイス売り場に向かう。テーブル番号を言えば会計をまとめてくれるそうなのでめいめいが食べたいのをもらって喰う。またうまい。途中でH野さんも帰り、ジョンはフィリップ氏とどこかへ行かなくてはならないらしく(忙しい人だ)、弟キティに会計を任せて先に帰っていった。ちょっと話した後、ホテルまで送ってくれるというので僕ら3人+ キティは車通りの絶えた夜道をゆるゆると歩く。この辺は高級住宅街なのだが、近くには安宿街もあって混沌としている。途中ちょっと突っ込んだ話を聞いてみようと「ジョンがゲイだといつ知った?どう思った?」と言うと(キティはストレートなので)「知ったのは7年くらい前だったと思う。その時の自分(17歳くらい)はゲイって何の事だか知らなかった。やがて判ったけど、ジョンは大切な家族だし、愛しているから僕は彼を助ける」と言う。えらいね、と「兄ちゃんみたいになりたい?」と重ねて聞くとキティはちょっと笑って、「それは、すごく大変」と答えた。
もう道が判るのでここでいいよ、と言おうかとも思ったのだけど、彼の役目としてはちゃんと部屋まで送り届けたという事にした方がよいだろう、とセマラの前まで付き合ってもらう。が、明かりが消えていて門扉が閉まっている。がちょん、と思ったが鍵は掛かっていなかったのでガラガラ開けて、部屋に行き、お見送りご苦労様でしたまたね、と言ってキティにさよならをして、部屋に戻った。またしても夜のスーパーに行き買い出し、と思ってジャラン・ジャクサ通りに行ったらば店は閉まっている。どうも11時半くらいで閉めちゃうみたい。通りでは何かレゲエの野外コンサートをやっていて、途中まではすごくいい音だったのだけどヴォーカルが入った途端にあ、フツー。にになってしまった。一応通りの反対側まで行ってみたけど何も店がないので(基本コンビニはない)水を買うのは諦め、部屋に戻って明日の予定をざっと相談し、明日こそは朝食を食おう、と言って寝た。日本から持参の蚊取線香を焚いて。寝る前に自分は今日一つでかいミスを犯したことに気付いたのだったが、それはまた明日に続く。
ジャラン・ジャクサ通りのネオン
2007.0830 ジャカルタへ
2007.0831 ジャカルタ第一回上映+写真展
2007.0901 ジャカルタ第二回上映 ↓
2007.0902 ジャカルタ第三回上映+写真展撤収
2007.0903 バリへ
2007.0904 オフ一日目
2007.0905 オフ二日目
2007.0906 バリ第一回上映
2007.0907 帰日