2014.0517 SAT
果たしてちゃんと起きられるのか、と思っていたのだが割とあっさり起床して、レストランで麺を注文して手早く朝食を済ませてから部屋に戻り昨日もらったTシャツに着替え、歩いてMeta Houseに向かう朝から暑い。わりとすぐにコレットたち女性3人が乗ったトゥクトゥクがやってきて、おはようございます(何でそんなに元気なの)。自分らは進行方向と逆の席で、いまいちどこをどう走っているのか不明ながら昨日のように王宮付近を過ぎ、途中馬鹿でかい建物が見えてきたので「何?」とコレットに聞くと「首相のオフィス」だそうでここがフン・センのいるところでした。中学生時代くらいにニュースで見聞きした人がここに実在すると思うと妙な感じ。さて今日はどこで何をするのか。コレットからは「仏式セレモニー、とても感動的よ」と言われたのですが私がジャパンで参加したことのある「仏式セレモニー」は葬式と法事しかないのでいまいち「感動」というものとダイレクトに結びつかず、事前に理解するのは諦めて道中を堪能する事にする。しかし町中に韓国語の看板がたくさんあって韓国企業が攻勢をかけている気がする。
トゥクトゥクは何かの事務所みたいな建物の前に止まり、これお寺…じゃないなたぶん、RoCKのフラッグも掛かっているのでここがコレットの事務所?と訊くと「違う、私たちのはもっと小さくて、別のところにある」との返事だったので今日のイベント用に借りたという事らしい。気づけば路上にはトゥクトゥクが何台も連なっており、基本最大6人乗りの車ごとのグループというかフロートと言うか、向かいの陽気なレディーボーイ号のお姉さんに手を振ったら満面の笑顔で返してくれました。コレットはどこかからレインボーフラッグを持ってきて「これを後に付けてレインボー・トゥクトゥク・パレードをするのよ」と冗談めかして言う。まあ素敵(後で知った事ですが本当の「パレード」は昨日だったそうなのですが政府の意向によりスポーツスタジアムの内側での許可しかおりなかったとの事)。要はここに全ての車が集まってデコレーションしたのちに連なってお寺へ、と言う事らしい。「あ、そうそう」とコレットは中年の女性を呼び止めて「映画に出ていた女性よ、判る?」ってあ、サオの"TWO GIRLS AGAINST THE RAIN"に出ていたカップルの片方(ポル・ポトの強制労働下でパートナーに出会った人)ではないかこんにちは、と油断しているとすごいレジェンドな方がそこら辺にいるので気を抜いていてはいけない。それにしても暑いので水を買い(2件ほど売店車が来ている)、皆さんの準備が出来たようでゴ―。
しゅっぱつ
パレード、というのは半分言ってみましたという感じで、と言うのもただ公道を走るだけなのでみな普通にバイクのスピードで(この国では自動車、バイク、トゥクトゥク、場合によっては自転車も対等に同じ道を走っている)、かつ沿道は別に誰も歩いてないしレインボーフラッグは後ろについているので、良くてまあたまたま並走する他の車から見える程度ですね、観てて一番喜んでるのは走っている僕らですし(道を曲がる時なんて楽しいぞ)。途中かなり埃っぽいあたりも過ぎて車は入口らしい門をくぐり、でもまだ風景は普通の街中な感じで、いわゆる寺社町みたいなものかなあ、とかなり進んでやっと「お寺("Wat Somrong"と後で入手したスケジュール表にはあった)」に辿り着きました。でかいです取りあえず。入ってすぐにはお約束の涅槃仏があり、像あり、王宮みたいな金ピカのお堂あり、で「ホージ」「ソーシキ」「シンミリ」な感じは大してありませんでした。まず外の仏様の前でお線香をあげて、睡蓮の咲いてる池に面して作られた講堂みたいなところに通されて靴を脱いで上がる。ここにも仏様ただしもちろん極彩色。
整列して座ってね、と言う事のようなので何となく前の人に従ってみんなの着てるシャツを眺めると、何か微妙に違う事に気が付いた。ロゴは同じなんだけど人によっては「2011」だったりして(自分らのは「2013」)デザインも違うのでどうも昔から参加している人は毎年この時期にこのシャツを引っ張り出して着ているようでした。ごく何人かだけ「普段着」であとはほとんど黒Tシャツ。お布施を集めて参加者代表の話があって御坊様が来て知ってる人は一緒に唱えて、とかやって、ここで何故か自分ら含む外国人の一団は前の方に行け、と促されるので何させられるんだろ、とびくびくしながら前の端っこの方に移動する。するとお坊さんがもう一人出てきて何やら言いながら水の入った容器に突っ込んだ刷毛をびっしゃんびっしゃん振り回しながら満遍なくわたくし達にかけてくださって(何しやがんだこの野郎、と正直一瞬思った)おしまい、「性的少数者にも仏の祝福を、そしてエイズで亡くなった方へも祈りを」という事のようでした。ピース。
お坊様を待つ
外へ出て煙草を喫う。全員ほぼ同じような服なのでパッと見で判りづらいのですが、年齢高めな女性が多いかな、若い男の子がいると思うとどうもトランスっぽい(トゥクトゥクのちっさい鏡で念入りにメイクの確認とかしている子とか居て可愛らしかった)し、日本人ゲイがわしらだけ(えへん)なのはそうでしょうが自分が予想する「ゲイ」というものがどうも見当たらない。コレットが紹介してくれるのも女の人ばかりだしなあ、男男男はどこだ、とかあんまり言うのもアレですし流れに任せて会える方に会うのが基本ベストなのは判ってますが、それにしてもひょっとして…こういうとこには居ないのか?滞在中とにかく可能な限り現地の男とヤる、的なポリシーで攻めていけば簡単にぞろぞろ会えるのかもしれませんが、自分らの第一希望はちょっとそう言うことではありません。イマイズミコーイチが何だかぐったりしてきたので水を飲ませて木陰に座らせると、やがてコレットが来て「私はちょっと寄るところがあるので別便で帰るわ、一旦解散して4時にまたMeta Houseで会いましょう、さっきの場所で夕方からファッションショーとライヴよ」だそうで誰かのバイクに2ケツして走り去ってしまいました(どうしてそんなに元気なのか…)。残りのメンバーでトゥクトゥクに乗り込んで、何故かタッパーにみちみち入った超うまいマンゴーを頂いたりそれを伴走するバイクの女の子(「私達のボディーガードよ」と言われてた)に走りながら渡したりしながらMeta Houseで降ろしてもらってまたね、面白かったれす。
時間はちょうど12時くらいでそろそろランチの時間ですがまたホテルで、つうのも芸が無いので毎回劇場〜ホテルを往復する途中で前を通る度に気になっていたレストランに入ってみようかお客は誰も居ないけど。ですが炒飯旨そうブレックファーストメニューとか書いてあるけど、とイマイズミコーイチが言うのでウェイターさんに訊くと「全部出来ます」との事だったのでパイナップル炒飯つうもの、あとつまみに薩摩揚げ、と自分はビーフの汁そばを頼んでわくわくしながら待つ。どれもこれも大変おいしかったです。器が縦割りのパイナップルになってる炒飯は初めて喰うような味でした。その他薩摩揚げはタレが独特(甘くてピーナツが入ってる、このタレさえ作れれば日本の薩摩揚げでいけるな)に宜しかったでした。部屋に戻ってシャワーを浴びてから昼寝して、さて出かけようかと1階に降りた、ところで外を見るとマジで洒落にならないくらいの雨が降っている。部屋を出る直前にバルコニーで煙草を喫っていた時には降っていなかったので自分らが2フロア下っている間に降りだしたという事になる。ああどうしよ、とコレットに電話してちょっと遅らせてもらう事にしてホテルの屋外席で雨が止むのを待つ。そこへトゥクトゥクのドライバーが「どっか行きたいのか、乗るか?」と営業してくるが300メートルくらい移動するのに乗るのもバカらしいしすぐ止むだろう、とお断りする。
降れば土砂降り
案の定雨はすぐに上がって、ああすごかったねえとか言いながら歩き出す。この時期にカンボジアは乾季から雨季へと移るようで、スコールのあとにはありとあらゆる種類の匂いが立ち昇るのですが何だかすごく安心する。とそのせいではないと思うのですがイマイズミコーイチが「おなかいたい…」と言い出して青い顔をしているのでMeta Houseのトイレに駆け込んだ。待っているとコレット達のトゥクトゥクが到着、あら一人?てな顔をするので「今トイレなんで、ちょっと待っててね」とお願いする。やがて微妙に落ち着いた顔をして出てきたので水を飲みつつしゅっぱつ。さっきの会場に着くと建物の隣の屋外スペースにステージとスピーカーがあって(さっきの驟雨は大丈夫だったのか)、既になんかMCしている。もちろんクメール語なので何やら判りません。コレットも壇上に上がってこれは英語でスピーチ、要約すると「プライドウィークファイナル、頑張りましょう、あとトイレは建物の奥にあるので判らない人が居たら教えてあげて」と言うような事を喋っていました。「4時からファッションショー」とか言ってましたが今は5時。いきなりライヴが始まる。みなさん唄う唄う(とまたここでこないだ観た短編で病身の「奥さん」を介護している建設業兼クラブ歌手のマニッシュな「旦那さん」が歌い上げたりなど)、その前で皆さん踊る踊るで気温とか時刻とかを総合的に表現するとこれは盆踊り。コレットチームが大量のビールを買い込んできてぺなぺなのプラカップに氷を入れたのと一緒に渡してくれるので飲む、たのしい。
コレットは相変わらず忙しそうなのでなかなか「あの、aktaの資料を…ですね…」とクドクド言うのも気が引けて、それでもまあここで誰にも会えなかったらちょっとどっこいしょ、と思って期を見て話してみると「そうね、ちょっと見当をつけるから待ってて(エンジョイ)」みたいな感じで返しつつどんどん色んな人を紹介してくれるので誰が誰だか判らなくなってきましたがその中で眼鏡をかけた細い男の子と、どうもHIV啓蒙活動とは関係無さそうなのですが少し話をして「facebookやってる?」てな感じでその場でつながり、ああやっぱ現地SIMがあると便利、とその名前を読めない子と写真を撮り合ったりしているうちに6時くらいになってようやく「ファッションショー」開始でうむ、普段着(個人の感想です)。ですが観客がいきなり舞台に殺到するので何だみんな待ってたんじゃない、と暗くなり始めた舞台に赤くライトアップされるランウェイを眺めていました。ビールはもう2本目。とここでコレットが「あなたの持ってきたマテリアルを渡すのに最適な人がいた、カンボジアの、主にトランス・セックスワーカーでHIVポジティヴの人をサポートしている人なんだけどMSM関係にもたくさん人脈があるから、彼女がいいわ」との事なのでアクタの資料を渡して名刺を貰ってきた。いつか繋がるといいと思う。自分らはアクティヴィスト、と言うよりは蜜を吸うついでに花粉を運ぶ虫のようなものだと思っている。受粉がされるか、は運次第だとしてもこれからもなるべく、日本人があまり行かない所に運ぼうと思う。
やる事も終わったのでビール呑みすぎた自分はおしっこ…とふらふらと建物内に入っていってじょろじょろじょろじょろ、個室が一個しかないので次に入ったイマイズミコーイチが出てくるのを待っている間に何だかそこに居た皆様と眼が合い、「まあ座りなさい、ご飯でも」とそこはキッチンで5〜6人が床に座り込んで夕飯を食っておられる。「ほら、スプーンもあるよ」とビニール袋に入ったジャスミンライスを寄越されてあの今、あんまし、お腹は、減って、ないのですが…と無論英語は通じないので一瞬だけ困惑した自分は次のモーメントにはお菜の魚煮付け(しょっぱくて無茶苦茶うまい)とご飯を頬張っておりました。うめえ。「スープも喰え」「もっと喰え」「うまいか?」てな事だと思うのですが「あい、うまいれふ」もはや何語ともしれない音を発しながらまりまり喰ってるわたくし。案の定トイレから出てきたイマイズミコーイチが「イワサくん何やってんの」という顔をして近づいてきて当然「お前も喰え」ということになりすみません、皆様のご飯をちょっと横取りさせていただいております。ご飯完食、してありがとうございましたさて帰るか。コレットは見つからなかったのでチームの方にさようならをして、彼女達が借り切っているトゥクトゥクが時間通り迎えにきてくれたので乗り込み、もはやキャンプファーヤー的な感じになっている「ファイナル・イベント」会場を後にした。実におもしろかったにゃあ、と因みに昨年のプライドウィークの模様はこちらにまとまっています。同じ内容でかつ英語字幕付きDVDをコレットにもらいました。
読めません、が。
ホテル前で降ろしてもらって汗でぐずぐずになっているRoCK Tシャツを脱いで速攻でシャワーを浴びてからから着替え、すぐさまMeta Houseに向かう。「7時半から」との事だったのでほぼオンタイム、まだ始まってないのでここで初めてプログラムを読んで詳細を理解する。今日の「上映」はサオが今取り組んでいる長編ドキュメンタリーの、資金集めを兼ねた予告編お披露目と主演の方のご挨拶イベントで、正味30分くらいなもんですね。サオが昨日言っていた「カンボジアで最高齢のトランスジェンダー」が主演のSou Sotheavyさん、御年75歳。やがて「Sou Sotheavyのローラーコースター人生」の予告編が始まる。1940年、カンボジア南部タケオ州に生まれ、自分の性的指向を家族から受け入れてもらえず14歳で家出、プノンペンで売春をしながら高校を出て、1975年以降のクメール・ルージュ政権下での強制労働、そこで10名以上の兵士にレイプされてから更に女性との結婚を強要され、そしてHIV感染が判明する。並の人間であれば30回くらい「もう、あきまへん」となるような人生を、だが彼女は(唯一)生き延びた。今はトランスジェンダーとHIV+の人々をサポートしつつアクティヴィストとしても活動し続けている。「我々の次のアジェンダはカンボジアでの同性婚の実現だ」と映像の中の彼女は語っていた。そして今年の2月、ベルリン国際映画祭のテディー賞の授賞式内で開催されたらしいデヴィッド・カト・ヴィジョン・アンド・ヴォイス賞(ヘイトクライムによって2011年に殺害されたウガンダのアクティヴィスト、David Katoにちなんだアワード。2012年が第一回)で彼女は3人目の受賞者となったスピーチの動画はこれ。チームハバカリのアイドル、ヴィーランド・スペック氏(ベルリン国際映画祭パノラマ部門ディレクター)もちょろっと映ってます。
上映と質疑応答の後で実際にご挨拶したその人は、非常に柔らかく細い手と声をしていた。英語が話せないとのことでサオに通訳してもらった。風邪を引かれて少し体調が良くない、とお聞きしたので握手だけをして、そして彼女はバイクに乗って一人で帰って行った。遠ざかるバイクの音が耳に残る中で自分は、仏教国には時おりふと「活き仏」としか形容できない人が出るのだ、とそんな事ばかりをぼんやりと思っていた(本来であればまずジャパンで実感しているべきだとは思いますが)。3秒くらいですが。プノンペンにはこの瞬間のために来たような気がしました。この映画は資金難で一時的に制作が止まってしまっているそうだけど、彼女が健在なうちに完成させて欲しい。
Sou Sotheavy and Sao Sopheak
余韻に浸っている間もなく眼の前には気付けばさっきの「ファイナル・イベント」で知り合った名前が読めない眼鏡くんがやはりバイクに乗っており、声を掛けると「今夜はクラブでゲイパーティーに行くかもなんだけど、一緒にどう?」とか言っている。いいね、と返事をしてでもまだ8時だから僕らは一旦ホテルに戻るよ、と言うと「じゃああとで場所を知らせるから、会えそうだったらまた」と彼もまたバイクで走り去り、降りてきていたイマイズミコーイチが「ホテル帰ろ」と言ったのでそうだね、帰ろう。レストランはまだ開いていたので夕食を食べ(自分が頼んだクメール・カレーが無茶苦茶辛くてギブアップ、イマイズミコーイチに半分以上引き取ってもらう)部屋に戻ってたらたらして、さっきの眼鏡くんに「で、行く?」とメッセしたら「ごめん、一緒に行く事にしていた友達が別のクラブにする、というので今夜は僕は止めた」との事でじゃあ僕らが単身乗り込んでもね、とプノンペンのサタデーナイトはあっさり無しになり、彼からは引き続き「でも明日自分の映画が上映されるから来て」「ホテルは会場の近くなの?君のボーイフレンドとグループセックスしたかったら呼んで(お気軽に)」などなど来たので「あはははは取り敢えず明日会場で(君の映画て?)、おやすみ」と無難に返してぐったり(お茶を淹れたら、ぼちぼち寝ますかね)。
2014.0514 出国、プノンペン1日目
2014.0515 プノンペン2日目
2014.0516 プノンペン3日目、『すべすべの秘法』上映
2014.0517 プノンペン4日目
2014.0518 プノンペン5日目
2014.0519 プノンペン→シェムリアップ1日目
2014.0520 シェムリアップ2日目
2014.0521 シェムリアップ3日目
2014.0522 シェムリアップ4日目、帰国