2014.0923 hari Selasa
昼前にもぞもぞと起き出して、おはようございます(痒いのを通り越して痛い)。自分ら以外は大体目覚めて活動し出している。ええと何しようか取り敢えずプールで泳いでみましょうか、と下に降りてプールにざぶん。本来のお客さん(僕らはおまけ)がサンチェアで寝ていたりするところをお邪魔しないように遠慮しつつ浮いたり沈んだり、そうこうするうちにイラママとキカ嬢がやって来て一緒に泳ぐ。イラママはイマイズミコーイチをいたく気に入ったようで何かあると「コーイチ!」と叫んでからアクションを起こすのだが今回も「コーイチ!今からトドが水に入るわよ!!(どぼん)わはははははは、Giga Confuse!」とかやかましい。この「ギガ・コンフューズ」ってのはインドネシアで流行ってる言葉なのかと思いましたが(テレビ業界人だし)他の人に聞いても別に反応はなかったので単なる口癖かもしれない。ともあれプール内でイラママは「日本のヴィザが免除になったら(予定では2014年の12月から)私は日本に行く。本物の寿司とうどんを食べたい。空港に着いたらあんた達の名前を呼ぶわね。ヘイ気違いマネージャー(とキカ嬢に)、よって今年の終わりまでは稼げる仕事を取って来なさい。でもあんたは日本に連れてったげない」という事なのですが私達も空港に住んでいる訳ではありません。しかし蕎麦でなくてうどんなのか。プールサイドにはリーが始めたと言うジュースバーがあり、何やらこさえている。今日来たモデルだと言う若いお姉さんも一緒に泳いだり写真を撮ったりして、うむなんだか休暇でござる。
部屋に戻ってあったものを適当に(ドリアンまんじゅうとかプルーン入りバームクーヘンとか謎な物あり)喰っていたらキカ嬢がスープを作ってくれる。炊飯器にご飯が炊けているのでスープを貰い、あとリーがテンペを焼いてくれたので結構完璧なお昼ご飯、うまいなあ。これまでは遠慮していちいち外で喫煙してたのだがさっきのモデル嬢が普通に窓を開けてガラム煙草を喫いだしたのでじゃあいいか、と便乗して、ついでに彼女と話をする。「ブカレストでこれを喫ってたのね、そしたら女の人が『マリファナ!?』って凄い嬉しそうに訊くから『違うけど、でも試してみたかったらあげるわ』って一箱あげたら凄く喜んで、着ているワンピースを脱いで私にくれたの」「インドネシア語でボウルの事は"mangkok"って言うの。私は日本には仕事で何度か行った事があるので日本で不意にまんこまんこ言っちゃいけないって知ってるわ、でもここは日本じゃないからまんこまんこまんこ」とまあ美女が下品で大バカ、という大変わたし好みな嬢でありました。しかし彼女に限らずみんなPathやってんね、インドネシアでfacebookが飽和している(総人口以上のアカウントがあるらしい)というのは本当らしいな。こっちは連絡しているつもりで向こうは連携しているPathしか見ていなかったりすることが何度かあったけどまた新たにSNSに入るのもねえ。
ジャミラ縦横無尽
ここんちには生後3ヶ月のジャミラという名前の大層かわいらしい子猫がおり、これがまた大暴れである。遊ぶ用の紐を振ると跳び掛かってくるのはいいのですが指を齧んないで、あと僕のリュックの上で遊ぶのはやめて。とふとポールが「眼が赤いけど、どうした?」と訊くのでそう言えばちょっと痒いような気がする。軽く猫の毛アレルギーがある自分は疲れていると眼に来る、と言うとポールは点眼薬をくれる。そのポールは実はあんまり具合が良くないらしく「Sick」とか言っている。何か毎日のようにお客が来るみたいだけど、一人でゆっくりする時間はあるんだろうか。自分らは下のレストランに降りて、というのはイマイズミコーイチが探していたサルン(腰巻き)があるかも、と思ったからですがそこで売っていたのはポールさんデザインのバティックを使ったサルン風パンツ、なのでスカートではない。でも一応気に入った柄のを穿いてみよう、とイマイズミコーイチは試着室(本来は水着のですね)で穿いてみるがちょっとサイズが小さい。一点ものなのでこれしか無い、と言われて断念するレストランにはやたら陽気なおねえさん(男性)がいるので楽しいが、今回はここで注文する暇はなかったので次回に期待。さてそろそろ、迎えが来る時間かな?
部屋に戻って携帯を見ると今晩のホスト、ニーノくんからメールが来ていた。「やっと用事が終わったので今から行くよ!」だそうで予定より少し遅れているが別に問題無し。ふと見るとイラママはメイクをしながらうろうろ歩きつつ出かける支度をしている。おでかけ?と訊くと「そう、祖父が住んでるので会いに行く。ジョグジャにはまだいるけど。そうそう私はジョグジャ〜ジャカルタ間は決して飛行機に乗らない、と決めているんだけど今回はどうしても電車が取れず帰りは飛行機よ」と渋い顔をしているので何で、と訊くと「これまで3回、ジャカルタからの飛行機で怖い目に遭った。一度なんて酸素マスクまで降りて来てもうダメかと思ったわ。それ以来絶対乗らないの。まあでもジョグジャからジャカルタは多分大丈夫だと思うけど…」だそうで確かに僕らの乗った飛行機も結構揺れたけど、後で聞いたらどうもジョグジャカルタ国際空港は着陸の難しい飛行場のようでした。ではここでお別れだ、僕らは今から別の所に移るので、と告げるとママは嘘泣きしつつまた「コーイチ!私はあんたのその、笑うと目が無くなる笑顔がもう見られないと思うと寂しくてならないわギガ・コンフューズ」などと大騒ぎしながら名刺に個人用携帯の番号を書いてくれて「日本に言ったら呼ぶわ」とまた無理目な事を言いながら出て行かれました。ああすごかった。
イラママとチームハバカリ
いきなり静かになりましたね、とジャミラの攻撃をかわしながらパッキングをし、台所で煙草を喫っていたらすぐにまた騒がしくなり、ガラス戸の向こうにニーノぼんが笑っている。来たー、と喜んで抱き合う。「ゴメンね、朝からパスポートの書き換えに行ってたんだけど役所で書類を無くしちゃって、で拾ってくれた人がそれを持って帰っちゃったんで(どゆこと)それを待っていたらこんな時間に」って大変…。お、彼氏のフランク(ドイツ人)もおる。ポールとニーノの2人同時にジョグジャで会う、と言うのは実は初めてなので記念撮影をする。ニーノとは2003年にジャカルタで会って、その時にはQ! Film Festivalのスタッフだったんだけど今はジョグジャでは映画祭が無いので引退、と言う事になり今は何をやってるのかと言うとリゾート施設を経営、って要はポールと同じようなもんですがホテルオーナーのところに別のホテルオーナーが迎えに来てくれる、という日本ではあり得ない待遇のチームハバカリ。自分らのジョグジャ旅行をどうしよう、と言っている時にも2人はお互いを「sis!」とか呼び合いながら歓迎プランを決めてくれたのでしたが僕らも伊達に11年もインドネシアに通ってないわ、と。でもこれからどこに行くんだか知らないけど。では行きます、と下に降りてジュースバーのリーに挨拶すると「ダメ、そんなの許さない」とおっかない奥さんみたいな顔になるがまあまあまた来ます、と空約束をしてみんなで写真を撮る。車に乗り込んで、リーは日本が好きなんだけどまだ行った事が無いそうだから是非来てね、と手を振る。ありがとうポール、早く体調が良くなってね、と願いつつ。
ニーノ運転の日産車が走り出して、やっと今日の目的地が判った。彼はインドネシアに2つリゾート施設を持っているのだけど、今日は近い方のヴィラが空いてるから4人で泊まろう、と言う事のようでした。前回泊めてもらった彼の実家(これまたヴィラみたいなお屋敷)はムラピ山に近い山中で、何となく今回もそこかな、と思っていたのですが初めて行く所になるらしい。地図でいうとジョグジャ市内からかなり南下した海岸沿いみたいで、おそらく日本のガイドブックには載ってないエリアになる。ご実家だったら2010年に大変お世話になったニーノの両親にも会えた筈だけど「元気だよ、パパはここ数日ちょっと体調が悪かったんだけど、もう治った」と言う事なのでそれで満足しましょう。海が見えて来た、と思ったら車は坂を上ったり上ったりして海岸からすこし遠ざかる(海があっていきなり山、という地形のようだ)。「つきました〜」てな感じでオーナー様が門の前に案内してくれる。正規のお客は居なくてもスタッフが荷物を運んでくれる。門をくぐると水をたくさん使った設計の真新しいこぢんまりとしたヴィラ、で上下にそれぞれ2室、合計4室だけらしい。2階の、向かって左の部屋に通されて「荷物を置いたらテラスでお茶でもしよう」とニーノは言ってくれる。わーい、と素敵なお部屋に(ええと、シャワールームが部屋から丸見えなんですけどこれ、カップル仕様すか)雪崩れ込みスーツケースを開けて自分は東京から執念深く持って来たお土産セットを懐に潜ませ、テラスに向かう。
テラスへ
遥かに海が見えるテラスでは既にイマイズミコーイチが寝そべってニーノママお手製のパイナップルクッキーなどをつまんでいた。4人が揃ったので結構風が強いんだけど、とあちこちを押さえながら(ポールにあげたのと同じもんではありますが)お土産をどうぞ、ととらやの羊羹詰め合わせと紀州色川の玉緑茶と上焙じ茶、あとこれはニーノ限定で雑誌『Badi』を進呈する。しばしクッキーやら龍眼やらを頂きながらだらだらと一息ついて、ニーノが「ではこれからビーチで夕陽を見て、それから海辺でシーフードバーベキューを」と妙にバブリーな事を言うのであい、と後ろに付いて行く。また車に乗って丘を下り(テラスから見るとまあ歩けるかも、てな気もするのですが車で走ると絶対無理だわ、と判る)車は平坦な道に出て、「ここは古い伝説でジョグジャの王様と海の女王が出会ったとされる場所で」というのをいい加減に日本語訳していたらイマイズミコーイチが「ここがハッテン場?」と言い出してしまいそこへフランク(ニーノ彼氏)が「ジョグジャのハッテン場はクラトン(王宮)の…」と伝説もへったくれも無いリアルな話を始め、僕らはやがて海の家みたいな駐車場に着きました。まだ暗くはなってない。
風がかなり強いので体がいきなり潮っぽくなる。波も高い、ので訊くとここは海水浴場ではないので泳ぐ人はいないとの事。「もうちょっと行くとサーフィンする人は居るけど、基本的に海には入らない」だそうで因みにニーノはサーフィンは?と訊くと「ちょっとだけやったけど、向いてないのが判ったのでそれ以来やってない」だそうです。やや曇っているので夕陽はそのうち雲間に消えてしまいましたが空がピンクに染まって行く中の散歩は気持ちよくて、写真を撮ったり蟹を追っかけたりしてました。着いてすぐに注文していたシーフードレストラン(風が強くなかったら外に出て焼きながら食べるんだけど、今日は店内にする事にしたようだ)に戻って席に付き、砂だらけになった足を擦り合わせながらビールを頼むと恐らく冷蔵庫が無いのだろう、大量の氷と冷えてないビール瓶が来たので氷を入れたグラスにビールをどぼどぼ注いで乾杯。平日なので僕ら以外誰もいません、つうか店以外は全く灯りがなくて…とここで僕らはおしっこをしたくなったのですがニーノに訊くと「その辺の茂みでしちゃって大丈夫だけど、暗いから気を付けてね」と恐ろしい事を言うのでイマイズミコーイチと二人で手を取り合い何とか用を足して帰還、するとぼちぼち料理が出来ていました。でかい魚の丸焼き、蟹を2匹くらい煮たの、とか豪快な料理が多いのですがそこはインドネシア料理なので味付けは塩だけ、みたいなのは無くていろんな香辛料が入っています。
ビーーーーーーチ(迷子ではありません)
大量のご飯と共にもりもり喰いつつ、トピックはどうしても昔話になるわけですが僕らがニーノに出会った2003年(11年前だよ)には既にフランクと知り合っていたらしい。つうかまだ10代だったんじゃないのか。僕らが会った当時のニーノも20歳そこそこで、とフランクに言うとすかさず「ワイルドだったでしょ?」と返してくるので余程色々あったのでしょうが当のニーノは涼しい顔をしている。更に訊くとフランクはイマイズミコーイチと同い歳で、メニューを見る度に離したり近づけたりしている。「44歳になったら老眼がいきなり」「うひょーわかるわかる」てな会話をしている傍らでニーノ「じゃあボクはあとXX年か」自分「あとX年だな」とか言ってる海辺のシーフードレストラン、ちょろっと漆黒の外を見上げると5月のシェムリアップ以来の星空で、自分はしばらく見上げたまま。方やニーノとフランクは「カニがあんま新鮮じゃない」「身がスカスカ」と若干ぶうぶう言ってましたが大変おいしく頂きました。ここは払おう少なくとも自分らの分だけでも、と申し出ると「いや、今日は僕らが付き合い始めた記念日なのでいい」という逆に自分らが全部出した方がいいんではないかと言う理由で奢ってもらってしまいましたが本当に今日がアニヴァーサリーだったらおめでとう、とここはジャワ島の南の果て。
灯りがない中をそろそろと砂浜を進んで駐車場に戻り、慣れていなければ走れるとも思えない道を難なくニーノの車はヴィラに戻って、寝る前にちょっとワインでも、とまた妙にバブリーな事になり、ニーノとフランクは「この白ワイン酸っぱくない?」「本当にシャルドネなの?」などと言っているが聴こえない振りをしてほろ酔いのまま寝ます。おやすみなさい。
2014.0919 到着、ジャカルタ1日目
2014.0920 ジャカルタ2日目、『すべすべの秘法』上映
2014.0921 ジャカルタ3日目
2014.0922 ジャカルタ→ジョグジャカルタ1日目
2014.0923 ジョグジャカルタ2日目
2014.0924 ジョグジャカルタ3日目→ジャカルタ
2014.0925 ジャカルタ4日目、『すべすべの秘法』上映
2014.0926 ジャカルタ5日目、帰国