20151027 Dienstag

今日も人に会う。ベルリン在住の中国人アーティスト、マスク・ミンの事は彼が描いた絵で最初に知ったのでしたが前回会った時には彼が運営するギャラリーでドローイング以外の作品も見せてもらった。北京のポポとも友人で、上映イベントをやった事もあるらしい。今回もし時間があればまたギャラリーに会いに行ってもいい?と連絡したところ「ギャラリー運営はちょっと負担になる事が多くて、作品制作に集中するため信頼できる友人に譲った。君らが滞在している所まで行くよ」との返事で最寄駅で12時の約束。4つある入口のどこから出てくるのか判らないので一番陽が当っている所で待つ。やがてミンが向こう側から歩いてくるのが見えた。「ランチをどこかで」と歩きだすとミンは調べていたらしく「この先にはベトナム料理の店があるみたいなんだけど、行ってみる?」と言う。道の途中に小さな映画館があり、グリーナウェイの『エイゼンシュテイン・イン・グアナフアト』のポスターが貼ってある。「この映画は好き」とミンが言う。自分も東京で観たよ、この映画館で今やってるの?と訊くと「そうみたいだね、ここはすごく昔からあるクィア映画専門の映画館だよ」と教えてくれる。


この映画館

更に先へ、緩やかな坂を下ると駅周辺の住宅地っぽい感じから拓けた商業地のようになった。「あそこ」とミンが指差した先は外壁が全面工事中のビルで、営業してるのかどうか遠眼には判らない。で近寄ってみると閉まっている、「でも12時オープンって書いてあるのに」と文句を言っていると目の前にモヤシの入ったでかいビニール袋をかついだおっさんがやってきてよっこいしょ、とシャッターを開けているので「まだ営業前?」とミンが訊くと「今からだけど、どうぞ入って」と本日最初の客になる。おっさんがパチパチパチと電気を点けて回っているが結構スピーディーに店は営業状態になりランチメニューの自分はフォー、イマイズミコーイチはチャーハンを頼んでミンはなんかごつそうなフォーを喰っている。これプレゼント、とミンが自作のアートカレンダーをくれる。ありがとうこちらもこれを、とポルノ映画祭カレンダーを渡す。昨日ユルゲンと相談した「新企画」の話をしたら「そうか、手伝える事があったらやるよ」と言ってくれる。

食べ終わってもまだ13時過ぎくらいでソフィー達に会うまで時間がある、のでますだいっこうさんがお勧めしてくれていたドイツ歴史博物館の「同性愛展」を観に行ってみようかと言う話になる。ミンもまだ観てないので一緒に行くという。最寄駅からSバーンでFriedrichstraße駅まで1本、なんか駅周辺はそこら中を工事している。「この博物館はよく知らないんだけど確かフンボルト大学の近くにあったはずで…、あれかな?」と目を引くポスターが外壁にぶら下がっているのが見えた、あれです。この博物館がオープンしたのは比較的新しく、1706年に建設されたプロイセン王国の武器庫を増改築して2006年6月にスタートしたとのこと(旧東ベルリン側)。常設展もあるが同時に3つくらい特別展をやっているうちの一つが「Homosexualität_en」展。展示されているのは19世紀末頃の雑誌、20世紀初頭のヌードやドラァグクイーンの古写真といった戦前のものから戦後様々なムーブメントで登場したポスターやグッズや…とかなり盛り沢山で背景を知らないと何だろうこれ、てなものも結構あるのですがやや無理やりな感じもあるA to Z方式で並べた展示や各国の法的な状況を示したパネルなど力作多数。そして奥まったスペースには正に自分らが北京で観た「パラグラフ175」に出ていた強制収容所からの生還者についての展示があり、そこにひっそりと展示されていた本物のピンクトライアングル章の前でしばし固まる。


ポスター、でかい

他の展示は観ても観なくてもいいし、でもこの「1945」というのはちょっと面白いかも、とミンが言うので観てみる事にする。こちらは終戦直後の各国の状況を1945年をキーワードにして展示したもので、日本関係でいうと「呉発廣島行」という電車の看板がありました(英国兵が降伏後の日本から土産として持って帰って来たものとの事)。あれ携帯にメッセージが来た…映画祭でそれっきりになっていたブルーノ・グミュンダーのシメオンさんだ。「今はどこにいますか、iMessageが受信出来るなら自分の位置情報を知らせます」というのだが自分のはiPhoneではなく今から会ってる時間もない。「すみません、明日でもいいですか」とお願いして「では昼にオフィスに来てもらえますか、行き方は後で知らせます」と了解してもらう。特別展を2つ観終わって常設展エリアに入るがここは敷地も広大、資料も膨大なので全然観終わらず時間切れ、空いているのでじっくり見るとなかなか面白いと思うのですが仕方がない。ミンに「僕らは行かないとなのだけど、残って観る?」と訊くと「いや、一緒に出るよ」と言ってくれて暗くなった会場を後にした。駅に向かう途中の道でミンが「ここをずっと行くとブランデンブルク門が見えるよ、こっからだと無理だけど」と教えてくれるのでウンター・デン・リンデン沿いなのかここは。APPによるとFriedrichstraße駅から待ちあわせのカフェに電車で行くには昨日降りたGneisenaustraße駅からだと乗り換えでロスがあるのでMehringdamm駅で降りるべし、という宣託が下るが全く土地勘がないのでそんないきなり品川じゃなくて五反田から、みたいなことを言われてもという感じではある。電車は混んでいて身動きできなかったが15分くらいで着いて、もう少し乗って帰宅するいうミンにありがとうまたね、と手を振り、見知らぬ駅から見知らぬ外界へ。

ルート確認、という意味では昨日の下見は全く無駄でしたが方向が全く違うもののGneisenaustraße駅からでもMehringdamm駅からでも距離は大して違わないようだ。とここでイマイズミコーイチが「あいらん…」と呟き出したので何すか、と訊くと「いや昨日も今日も飲んでないせいか、お通じがね…」だそうなのでたまたま見つけたスーパーでAyran(59セント)を購入する。自分もついでに「マンゴー味(69セント)」というのを買ってみるとこれが旨いんですがオリジナル(塩味)と比べて明らかに薄いので腸には効かなそう、寒い夜空の下をよく冷えたヨーグルトを飲みながら歩く。ああカフェ・アトランティック(ソフィーの最初のメールでは店名のスペルが間違っていて検索できませんでした)が見えてきた。時間はちょうど18時でオンタイム。煙草を喫い終わらないので店の外から店内を眺めていると奥の方の席にソフィーがいた。向こうも気が付いたので手を振って中に入る。3年ぶりになるのかな、息子のアレッシオくんとは初対面、実は前回もソフィーと会う約束をしていたのだがこの子が病気になってしまい、「日本人に免疫があるかどうか判らないので会わない方がいい」と流れた原因でこんにちは。ソフィーはあんまり変わらないが何の違和感もなく「おかあさん」をやっているので何か笑ってしまう。少し遅れてカタリーナとウーヴェが来たので取りあえず飲み物を注文する。


既に微妙な感じになってるアレッシオ

カタリーナにミンからもらったカレンダーを見せると「あら素敵、でも私達のは来年用のだから」と妙なところで対抗意識を燃やしている。注文していた飲み物が来た(受け取ろうとするとおねいさんは「ダメ、あたしの仕事を取らないで頂戴」と笑いながらぴしゃり)。ああそうそう、とソフィーに渡す日本土産は出汁の素とかカレールーとかで、この人は日本に住んでいた事もあるのでまあ作ってみては、と提案する(アレッシオは「なにこれ」みたいな事を言っている)。ソフィーも僕らにプレゼントを用意してくれていた。開けてみると可愛いモーニングプレートで、ベルリンにちなんだイラストがプリントされている。ありがとう、と言うと「ええと、『薄いから荷物にならないと思って』って日本語で言いたいんだけど忘れた」と英語で笑う。あまり使わないので日本語がどんどん衰えているようだ。とここでアレッシオが早くも飽きてきた、というか母親が英語だの日本語だのを喋り始めたのに何か不安を覚え始めたらしくきいきい言いだす。アレッシオのお祖母さん(ソフィー母)はフランス人なので普段から言語的な混乱があるらしいが、あと子供は母親の関心が自分に向いていない、というのを敏感に察知するものなのでそれもあるんだろうなあ。ソフィーは全く動じず「イモでも喰わせておきましょう」とは言いませんでしたがジャーマンポテトをみたいなのを注文して大人しくさせるのに成功しておりました。やはりソフィーとアレッシオはここだけで、この後カタリーナとウーヴェの家に行って夕飯ということらしい。ソフィーは翻訳の仕事をしているが、「翻訳の仕事は孤独すぎるし、そろそろ別の仕事をしようかなと思っている」と言っていた。「あとアレッシオが学校に上がる前にアジアを旅行して、彼に日本を見せたい」。そうだね、自分らも3年前に会ったアレッシオの父ちゃんとソフィーは別離してしまったし、身軽なうちにおいでよ、と僕らは気軽に言う。アレッシオは最初こそ黙ってイモを喰っていましたが芋効果はあまり持続せず、ベトベトになった手でジュースのグラスをしきりに動かしたりし始めたのでそろそろかな、と思っていたらソフィーが「ごめんね、アレッシオは眠いみたいなので帰るわね、イモは美味しいので食べ残しで良かったら」と帰り支度を始めるのでみんなで写真を撮って、またね。

残った僕らはGneisenaustraßeからHermannplatzまで地下鉄を2駅乗って、ビールを買ってからカタリーナ&ウーヴェのアパートに向かう。「本当は手料理を、と思ったんだけど部屋を片付けるので精一杯で」と済まなそうに言うのだが一昨日まで映画祭だったのだし、気にしないで。「その代わり近所にすごく美味しいパキスタンカレーの店があるからそこで注文しよう」とカレーを4種類選ばせてくれる。リビングルーム兼作業室、といった感じの部屋でウーヴェがカレーを持って帰るのを待つ。廊下に「X」の穴のあいた赤と黄色のアクリル板が置いてあるのでもしかしてあれ、映画祭コンペのトロフィー作った残り?と訊くとカタリーナは「そうそう、試作品もあるから良ければあげるわ」と2色の「X」を僕らにくれた。しかしこの部屋はとにかく寒いのよ、と言うのでそりゃ天井が高いからね、ベッドに畳マット使ってるくらいなんだからここには炬燵を置いたら(ドイツで買えるもんか知らないけど)と言ってみる。しばらくするとウーヴェが戻ってきて、皿に移しかえられたカレーが運ばれてくる。ライスやナンもあるので小さいテーブルは一杯になり、ビールを置く場所がないがまずは乾杯して食う(自分だけ「JEVER」である)。来年は日本に半年くらい住みたいな、前に遊びに行ったイワサの住んでるアパートみたいなのだとベストなんだけど、ああいう部屋って借りられるかな?と訊いてくるのでう~ん2年契約の物件が多いし外国人に貸してるところとなると限られちゃうかな、最初から外国人向けの短期滞在物件を専門にしている業者を探した方がいいかもしれない。しかしカレーがうまい。「この店を見つけた時は本当にうれしかった」だそうでそれも判るってもんです。食べ終わってカレンダーの相談。自分らの分+参加していただいた皆さま分だけでも結構な重量なので配送にしようと思う、と言うと彼らは発送をしてくれると言い値段を調べてくれたのだが、総重量が惜しいところで値段が上がってしまうラインなので元々の冊数でもそれに7冊足しても送料が同じ、ということらしい。のでイマイズミコーイチと相談してじゃああと7冊買って日本で売ろう、という事になる。売るぞ。


指南中

ウーヴェが前回の日本旅行の時の戦利品(レコード)を出してきたら自分もイマイズミコーイチも持ってる江利チエミのだったり、4人で花札をやったらルールを知らない初体験の自分が勝ってしまったり、となかなか愉快ですがそろそろ電車が無くなる。時間ギリギリなのでYorckstraßeから乗り換えるSバーンが無いかも、用心の為にYorckstraßeでは降りず一駅先のKleistparkで降りて歩いた方が確実、と地図を印刷してくれたのでまた来るね、と家を後にしてその通りに降りて歩く。かなり寒いけどそんなに遠くはなくて、やがて陸橋の向こうに駅が見えてきた。私は最初のベトナムレストランにマフラーを忘れてしまっていたので店の前まで行ってみましたが「閉店:24時」で入れず、明日また来よう。明日は実質ベルリン最終日。

2015.1021 北京からベルリンへ、映画祭1日目
2015.1022 映画祭2日目
2015.1023 映画祭3日目
2015.1024 映画祭4日目
2015.1025 映画祭5日目
2015.1026 ベルリンオフ1日目
2015.1027 ベルリンオフ2日目
2015.1028 ベルリンオフ3日目
2015.1029 北京経由の帰国

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