2010.0929 WED
この旅行の起点をどこかに設定するとすれば、それは日本時間で9月28日午後10時45分にジャカルタから届いた一通のメールである。この時点でもまだ荷造りは終わっておらず、最近とみに旅行の準備に慣れ切って事前の周到な準備というものを舐めるようになってきている自分はその日も休みだったと言うのに近所のスーパーで土産にする変なお茶とかをじっくり選んだりしており、パンツとシャツを何枚持っていくかとかそういう実務的なことはなるべく後回しにして(今回は長旅なので枚数を考えると実に鬱々としてくる)、でも今回はでかいスーツケースを買ったし、とひとまず押し入れから引っ張りだしたニューケースを横にしたり縦にしたりしていたのではあるが、新着メール一通、の赤いマークがメーラーにぽぴ〜んと付いて何じゃらほい、と開けてみるとこれからお伺いするインドネシアの Q! Film Festival 総大将であられるジョン・バダル氏からでした。メールには短く「至急電話で話したいので番号教えてほしい。できれば持ってる全部の番号を」とあり、なんかイヤな予感はしたのでしたが案の定のこと、数時間後に彼と実際話すまでにGoogle Newsで"Q! Film Festival"を検索したりするといろいろと出てきました(出来ることならば知りたくはなかったが)。
たとえばこんな
今回はFPIというイスラム団体の抗議にあって、ジャカルタから始まった映画祭はかなりの作品について上映の中止と規模の縮小を余儀なくされているらしい。声の調子からも相当疲れているらしい事が判るジョンはそれでも電話で、「『家族コンプリート』は性的な描写が多いこともあり、今回は上映を断念することにした。本当に済まない。君たちの安全のために訪インドネシアは中止する事を勧めるが、その場合は2人分の飛行機代を払う。もし来るのならばなるべく安全なところに居るようにして(例えば映画祭会場には近づかない方がいい)、まあそれだとただの休暇旅行だけど…」と言う。自分はただもう何も言えず、「判った、イマイズミコーイチと相談する」とだけ答え、でも気持ちは決まっている。「行く、だよね」とだけ短く確認をしてジョンに再度連絡を取る。「全て了解です。でも今回の旅行はバンクーバー行きも含まれていることもあるし、今からの日程再調整は負担が大きすぎ、何より会いたいから、行ってもいい?」と伝えるとジョンは「判った、では予定通りに迎えを寄越す。明日会おう」と電話が切れた、さて。
[ あらすじ ]
今回の旅行は6月に香港で会ったイマイズミコーイチとジョンが約束していた上映日程に基づくもので、ジャカルタ〜スラバヤ〜マラン〜バリとジャワ島をドサ回ってバリで打ち上げ、と言うこれまでで最長のインドネシア滞在のつもりでチケットを取りさてこれで手配完了、とか思っていたらその後になって香港のディストリビューター・ジョナサンから「いいお知らせです!バンクーバー国際映画祭が監督を招待するそうです!」と何とも間の悪い感じでお知らせが入り、そりゃ行きたいけどその頃はジャカルタだから無理だよ、と言うとジョナサンは「えええ行かないんですかバンクーバー国際ですよ、言っちゃあなんですがジョンのは映画祭としてはまだまだマイナーです。映像作家としてはインドネシアをキャンセルしてでも(インドネシアでは私の短編の上映もあるんだが、そこはすっ飛んでいるらしい)バンクーバーに出席してキャリアアップを」などとバブリーな事を言うので判った判ったジョンに相談する、と電話を切ったのが今月の頭、確かにバンクーバーでの上映は決まってたんだけど行くとか行かないとか(要は旅費が出るかどうか)の話は何もなく、そのままにしておいたのが甘かったでした。元々今年のインドネシアでの上映に消極的だったジョナサンがその辺りのスケジュールを酌量してくれるはずもなく、彼がトニー・レインズ経由で推薦を取ったVIFFの話を優先するのは、後から考えてみれば当然なのですがまあアフターフェスティバル。
ニューケース
「これこれこういうことに相成りました、僕らとしてはどっちも行きたいんですけど、どないいたしましょう」とジョンに伝えると、出来た人物は流石に言う事が違い「おめでとう、僕も嬉しい。仮にインドネシアを全てキャンセルしても怒らないから、希望するように日程を変更していいよ」という返事が速攻で来て、そこまで言ってくれる人に今さら会いに行かないという話があるか、と香港/インドネシア/カナダと同時進行でメールが飛び交い、そうこうしている内にカナダがもういっこ(モントリオール)決まってついでに11月の台湾が決まり…で最終的には誰がどこの何係担当なんだか判らなくなって来たところで出発前日を迎え(以上あらすじ終わり)、そしてとどめの一発としてジョンからの電話がやって来たのでした。自分にはもうこれ以上何かを何かに変更してスケジュールを更に組み替える気力は残っておらず、それにジャカルタ⇔バンクーバー往復チケットは向こうの映画祭が手配してくれたものでこれをキャンセルしてもらえますか、とか確認していたら間に合わない。もう電車は動き出しているのだ。少しは眠るつもりで敷いていた布団を畳み直し、結局一睡もせずに(こうなると早朝出発の便で良かったとも言える)ニュースーツケースと共に家を出たのが午前5時20分、ジョンの電話からわずかに数時間後。
前回からようやく持った自慢のPASMOをピーピー言わしながら成田空港にたどり着いて7時半、エレベーターを上がったところのガラス戸越しにイマイズミコーイチが外の喫煙所で煙草を吹かしている後姿が見えたが当然気付かないので大回りしておはようございますたいへんなことになりましたねえ、と他人事のように話して発券、大韓航空のお姉さんは僕らが差し出したデルタのマイレージカードを見ると「デルタのシステムコンピュータを見ることができないので何とも言えないのですが、おそらくこれはマイレージが付かないタイプのチケットです。一応登録はしておきますが」と残念なご判断が来て、何か今日は厄日とか、そういう日なの?免税店はたいへんな混雑で、僕らはただ煙草を買いたいだけなんですが歩くのも一苦労。最近毎回のような気がするがイマイズミコーイチは盛大に割り込んでくる中国人に国粋主義者のような怒りを爆発させていました。自分は、と言えば欲しい銘柄がなかったのでふと思いついて搭乗ゲートと反対方向にある店に行ってみるとこちらはものすごいガラガラで、探していた煙草もあって最初からこっちにすれば良かったね。今回は一旦ソウルに行って4時間ほど待ってから乗り換え、なので朝も早くなってしまった訳ですが成田から仁川まではあっという間、機内食食べてたら終わってしまう。仁川空港ではどうしよう、出発前には一旦出国してちょっとどこか行ってみる?などと話していたのだが、昨晩はほぼ寝てませんし自分は韓国ウォンも持ってないし空港内のどっかで休憩したい、と自分が希望を出したためフードコートでお茶を買って、寝椅子とかがある広大なスペースを発見したのでそこでだらだらインターネットなどをし(さすが韓国なのでwifiがガンガンつながる)、ああそうだ韓国なんだから韓国の友達に電話してみよう、と平日昼間に出られそうな人、ということで代表して映像作家ジョッシュ・キムの携帯にかけようと思ったら、イマイズミコーイチ持参の硬貨は額が大きすぎて公衆電話で受け付けてもらえず、お店で両替を頼んだら一軒では断られ、再度別の一軒で「あの、電話をかけたいのだけど換えてもらえますか」と理由付きで頼んでみたら快く換えてくれたのでジョッシュに架電、運良くつながって(驚いてた)「バンクーバーも行くんだ、僕の友達も呼ばれてるはずだからチャンスがあったら上映に行ってみて」と短く話して電話を切り、などしていると心配していたほど時間を持て余すと言う事もなしに次の便の搭乗が始まり、時刻は15時45分。
プレイルームあり升
ソウルからジャカルタまでは(成田からとあんまり変わらないんだけど)7時間程。席は後ろの方なので機内サービスの順番は最後近くになる。のはまあいいのですがおなか空いたご飯、まだかな。と匂いだけはしている機内食を待っているとやっと近くの席まで回って来たので見るとどうもチキンかビビンパ、のようでした。ビビンパください、とアテンダントさんに伝えると、「少々お待ちください」と奥に引っ込んでしまいやがて戻ってくると「すんまへん、さいぜん売れてしまいましてん、チキンでよろしか」とのこと。嫌だと言ってもどうしょうもないので「いいすよ」とチキンを配膳して頂く。隣のイマイズミコーイチは無事ビビンバを入手しておる。ううむチキンはうまいけどビビンパに比して量が少ない、そしてなんで洋食メニューなのに冷奴が付いてる、と若干不平を思いながら半分くらい食べ、ているところにさっきのアテンダントさんがやってきて「お客様、ビビンパが見つかりました(おいおい)。ただ今お持ちいたします。あぁそれ(チキン)は召し上がっていただいて大丈夫です」とここで話者を一時的にイマイズミコーイチに切り替える。「『お取り替えいたします』と言われた瞬間にイワサくんの口角がにっ、とやや上がって無茶苦茶嬉しそうだった、顔はあくまで『ああ、そうなん?』って感じにしてるんだけど。でアテンダントさんが行っちゃってからビビンパが来るまでに猛スピードでチキン平らげて、あ〜すごかった」と爆笑している。何とでもお言い、口惜しかったらあんたも一度に両方の機内食をもらってご覧なさい、と恩着せがましく「これ、あげるわ」と自分の冷奴をイマイズミコーイチのプレートに移して、自分は次のビビンパも完食した。これからは機内食をお替わりした男として、ああもう世界のどこに出しても恥ずかしくないっ。
これにて今日最大のイベントも終わってしまったと思われるのであとはワインもらって熟睡して、目が覚めるともう夜、窓の外にジャカルタが見えて来た。着陸して飛行機を出る前に半袖になり、腕時計を2時間遅らせて通路を通っている間にももう暑い空気が漏れてくる。あ〜インドネシアなんだなあ、と嬉しくなって(上映が飛ぶかも、という話は一時的に忘れている)リュックから米ドルを出してビザを買う。入国する度に25ドル払わないといけないのであるが今回は一旦出国するので2回分用意して来た。出発前に円がかなり上がっていたのでまだいいけれども、それにしても2人併せて9千円くらいにはなってしまう。しかもビザ買う手間と入国処理の手間とで行列が進まないったら。ぼんやりと進まない列を眺めていると入国ゲートの手前で係員らしい男性が紙に「チンポウ先生(漢字だったけどどんな字だったか、笑いすぎて忘れた)」と書かれたものを持って列の最初から最後までを行ったり来たりしているのでますます気が遠くなる。やっと抜けてスーツケースを回収してから出口に向かう。ジャカルタ国際線はありとあらゆる手でタクシーの勧誘が降ってくるのでやや身構えるが幸いすぐに迎えが見つかったので「一切、聞こえてません」という表情で小柄な女性に近づいてご挨拶。彼女がゲスト担当で事前に何度もやり取りをしていたシーラだった。もしかしたら今後ただの観光客に成り下がってしまうかもしれないのですが、どうぞしばらくよろしくお願いいたします。
では参りましょう、夜のジャカルタを
乗り換えだけの時も含めると5回目のジャカルタ、市内までのドライブも見慣れた感じの光景ではありますが最終的にどこに止まる(泊まる)のか知らないので、見覚えのある広場を過ぎても車はまだまだ進む。なんか街中にコンビニエンスストアが増えたような気がする。車内でシーラに「映画祭、大変そうだね」と聞くと彼女も憤慨したように「本当にもう迷惑な話で…本当にごめんなさいね」とぶりぶりしながら謝っている。聞くと上映会場に抗議のデモ隊が30〜70人程詰めかけてしまい、これでは安全に観客を入れることができない、と判断したいくつかの会場では上映中止を余儀なくされてしまったとのこと。全ての会場がダメになった訳ではないが数を半分くらいにして、プログラムも大幅な変更をしているとの事。ふえ〜ジョンとか、スタッフは無事?と一番気がかりな事を聞くと「それは大丈夫」とのことで安心する。もう夜も遅いので、今日は会えないような気がする。「あ、ここも会場」と通りがかりに指差された建物を見過ごしてしまった、と思ったらすぐに車はその隣のビルに入り、この「Fomula 1」というのが僕らのホテルのようだった。建物に入るといきなり西洋人が2人、しかも1人は見覚えのあるクィア・ザグレブのズボンコではないか。この人と最初に会ったのはもうかなり前になるけど、どうも徹底的にご縁がないと言うか僕ら(と作品)にとんと興味がないらしく、これまで一回も彼のフェスティバルでは上映した事がない。まあ別に嫌い合ってるわけではないので当たり障りのない感じで一緒にいる分には問題ないのですけど、どうせはるばる来るのであれば「新しい出会い」つうもんが欲しい訳です、とズボとはおざなりに(いやいや、そんな失礼な事は決して)挨拶して隣のもう一人、カルロスには初めまして。どういう人か判りませんが、それは後で聞いてみましょう僕らはチェックイン、とひとまず「またね」。
「コピーを取るのでパスポートを」とレセプションで言われて渡し、カードキーをもらい部屋番は#724、シーラに「ここはインターネット使えるかな?」と聞くと「ええと、部屋で使う場合は有料なのだけど、下のレストランでもできる」とのことでひとまず大丈夫みたいだ。シーラは「では今日はゆっくり休んで、明日以降の事はまた連絡するわね、できたらランチでも一緒に」ということでお別れ、ありがとう。エレベーターはカードキーを入れないと希望階のボタンが押せないという仕組みでした。部屋に入ると希望通りツインベッド…、ではなくてダブル。わたくしはたいへん寝相が悪く、ダブルベッドに非常に不向きであるので換えてもらおうか…とその時ふと「あれ、パスポートって返してもらった?」とイマイズミコーイチに聞くと「そう言えば受け取ってない」…ええい何にせよもう一度レセプションに行かなくては。降りて行って「あの、(まずは)パスポート…なんですけど…」と弱々しく言ってみると受付の人は「あ」という顔をしたのちスキャナの蓋を開いて「すみません忘れてました」と笑い、自分も釣られて笑いながら「あと、もしツインの部屋があったら換えて欲しいんですけど」と言うと「申し訳ないのですがダブルしかありません」ということでこちらは残念。再度部屋に戻るとそういや灰皿がないねえ、と気がつく。シーラには「喫煙可能でお願いします」と言ってあったのだけどまあいいか、とシャワーを浴びて一息付いたのち、MacBookを抱えて下のレストランに行く。12時を過ぎてるけどまだ開いている店もあって、やっぱビール、とビンタンを頼んでインドネシア料理プレートをたべ、そののちMacBookを開いていると店員さんがIDとパスを書いた紙片をくれたのでログイン、問題なくつながった。取りあえずこれで誰かには連絡が付くでしょう。まずは、とジョンに「着いたよ」のメールをして、しばらくビールを飲んだり煙草を喫ったりしてから部屋に戻る。とエレベーターの扉が開いたあたりで眼に「禁煙フロア」の文字が。あれれやっぱ換えてもらわないとだなあでも明日でいいや、とおやすみなさい。
インドネシア・ジャカルタ編
2010.0929 成田発仁川経由ジャカルタ行
2010.0930 二泊目
2010.1001 三泊目
2010.1002 「傘脱」上映
カナダ・バンクーバー編へ
インドネシア・ジョグジャカルタ編
2010.1008 香港経由ジャカルタ経由ジョグジャカルタ行
2010.1009 二泊目
2010.1010 三泊目
2010.1011 四泊目
2010.1012 五泊目
2010.1013 ジョグジャカルタ発バリ行
インドネシア・バリ編
2010.1014 クロボカン2時間徒歩
2010.1015 長編1本
2010.1016 バリ発ジャカルタ経由仁川経由成田行