2010.1013 WED
今日は少し早起きで6時半に起床する。昨夜フランクが「ムラピを見た?朝方はきれいだよ」と言うのでそれなんだっけ、と思って調べたら有名な火山がすぐ近くだったのでした。そういえば2年前にボロブドゥールから眺めたような気がする。別に山は動かないだろうが朝、と言われたので起き出して見に行ってみる。ベランダの、ちょうどニーノの机があるエリアの裏側に出てみると、そこには煙を吹いているムラピ山があり、ああ噴火しとるわ、と寝ぼけた頭で思う。フランクはもしかしたら朝日が昇る頃、と言う意味で「朝」と言ったのかもしれなかったが既に昼間のように明るいので、どうにもいま見る理由は無さそうだが一応記念写真を撮ってみる。まさかこの時はこの山が二週間以内に大噴火するなどとは思ってもみなかった。そしてその日はすぐに雲が出てしまったので、やはりこの時間にじっくり見ておいて良かったのではありましたが。目標は達成したのでまた寝る事にする。
Gunung Merapi
2時間くらいしてまた起きて、自分らの部屋近くのベランダに出ていると向こうの方にある建物の屋上にニーノらしい人がおり、更に良く見るとフランクもパパも庭師も出て来て男手は総動員で何か作業をしている。どうも太陽熱温水器(朝日ソーラーみたいなやつ)をいじっているのだが故障でもしたのかも、そういやさっき浴びたシャワーは微妙にぬるかったな、と思いつつニーノが自分に気付いて手を振っている。ニーノは身振りで「朝ご飯食べておいでよ」と言っているのでキッチンに向かう。ママが「スラマッパギー(おはよう)」と迎えてくれ、なにやら白濁した飲み物を出して来た。昨夜のナンカブランダのジュースらしいがすごく濃厚で、飲むヨーグルトみたいである。自分は2日前にスーパーで買ったマンゴスチンを食べようとしまってあったバーの冷蔵庫から持って来ていたのだが、指では割れない。四苦八苦していると戻って来たパパが鉈のようなでかいナイフで全部(3つ)割ってくれた。うまい、と食いつつ1つは腐っていたのでこっそり捨てる。しかしゴミがやたら出る果物だ。そして爪の間に果皮が詰まって非常に汚らしくなる。幸い胃痛は治っていたので朝ご飯のナシゴレンをもりもりいただいていると、そこへフランクがやって来た。「おはよう、僕はもう会社に行かないといけないので、ここでお別れだ。また今度ゆっくりね」と言ってくれるので一緒に写真を撮ってみましたがやはりでかい。あとで写真を見てみたら自分の頭はやっと彼の肩くらいでした。
でもってニーノも戻って来た。やっぱりさっきの朝日ソーラーが故障のようだ。「ええと、僕は自分の仕事があるのでお昼に出かけて、あと警察にも行かないといけなくなった。プートリにも会うのでついでに市街まで送っていくよ」…警察?プートリが何かやらかしたのか?よく判らないながらご飯を平らげ、ごちそうさまでした。食後、パパがなにやらA5サイズのチラシを渡してくれて「カリムンジャワ、と裏がパタヤ」と言う。何かリゾート施設のチラシのようだけど…とよく見ると「予約・お問い合わせ」先がニーノになっており、家族でパタヤに行った時の写真とかが壁にあったりしますけど、カリムンジャワのビーチハウスもパタヤもニーノが経営してんのか?あの小僧は(と言っても来年で30。初めて会った時は確か20代前半だったから、時も流れたものである)実業家?とまたよく判らない思いがぐるぐるするが、まあいいや。ここの家には屋内にも屋外にもそこら中に魚がいて、ある時にはそこから釣り上げた魚を食べさせてくれたりもしたのでしたがこの一番目立つところにある水槽にはまたえらいこと地味な魚(黒メダカみたいの)がいるねえ、と見ているとなんだかこちらの動きに反応する。手をかざすと寄ってくるのでもしかして餌をくれると思っているのかな、とヒラヒラさせたりするとパパが椅子を持って寄って来るなりイマイズミコーイチに「ズボンまくって、水槽に脚を」と言う。これはもしかしてアレですか、角質を食べてくれるとかいう魚か。脚を入れたイマイズミコーイチは「うわぁぁぁぁぁ」と微妙な悲鳴をあげ、「なんか、未体験な感覚が」とよく判らない表情をしている。すごいすごい、魚が群がっている。自分も手を突っ込んでみたらたちまち20匹くらいの魚につつかれました(爪に入ったマンゴスチンのカスとか食べてくれないだろうか)。
魚に喰われる
僕らはしばらく魚(ガラルファ、というらしい)に食べられていましたが(途中でママが通りかかりあらあら肩でももみましょうか?てな感じで肩にタオルを乗せてくれる)、ニーノが来て「荷造り終わった?11時半に出るよ」っていまはもう11時、もちっとゆっくり魚ケアをしていたいような気もしますが(初日に教わっておけば良かった、と後悔するイマイズミコーイチ)あんまり時間がないので急いで部屋に戻って大急ぎでパッキングする。部屋を片付け、最初に入った時はこれはどこにあったっけね、と記憶を頼りに適当に配置を直して5日分のゴミ(スーパーのレジ袋1つ)をすいません、と渡してスーツケースを母屋へ運ぶ。セーフ。余った時間でパパやママと記念写真を撮り、そこへニーノが「仕事着」に着替えてやって来たのですがこれがまた何と言うか黒ずくめ、唯一色味があるのがベルト(しかも光り物)だけという知り合いじゃなかったら絶対なんかやべえよこいつシロートじゃねえよ、というような格好(特にその長袖シャツの、どう見ても綿じゃない感じとかさ)でやってきてなんつうか、万全…ですね。さていよいよこの家とご家族にお別れしないといけない。本当にお世話になりました、きっとこういう正体不明な客には慣れているのでしょうけれど、素晴らしい息抜きをさせていただきました。ニーノに訳してもらってママに「インドネシア語が話せなくてごめんなさい、毎日とてもとてもハッピーでした。」と伝えるとママは「そうね、私も言葉が通じなくて心配していたんだけど、いつもご飯ちゃんと食べてくれたし良かったわ」とのお言葉、マダム・バタフライ。マダムバタフライは「ジョグジャの家族を忘れないでね」とか何とか言いながら嘘泣きまでして見送ってくれるのでさすがニーノのかあちゃんだけあって、と妙な感動を憶えつつお暇乞いをする。みなさん、さようなら。最後まで姿を見せなかった猫はどこへ、と探してみたらでかい鉢植えの根っこのところで肥料みたいに昼寝をしていました。
で、ケーサツゆうのは?と運転席のニーノに聞くと「昨日映画祭の会場にFPIのデモが来た。上映があるうちは警察にガードしてもらってたんだけど、終わった頃を見計らって3会場に押し掛けて来たらしい。なので今日は全ての上映中止、で警察行って今後の相談をしないといけない」ああプートリがミロタで万引きとかしたんじゃなかった、よかった。とイマイズミコーイチがうっかり呟くが、ジョグジャには来てしまいましたかFPI。ニーノはしきりに電話で誰かと話しているが、同じ相手なのに途中でインドネシア語になったり英語になったりしている。インドネシアにはものすごい数の言語が存在するので、もしかしたら英語の方がまだ通じるインドネシア人同士、というのもあるのかもしれなかった。「今日は警察に行くのでこんなカッコ、今日のボクは法律家」などと言うがいいんですか、こんなチンピラみたいな法律家。最初に着いたのは警察…ではなくて、キンコースみたいなデジタル出力&印刷の店、30分くらい待っててくれる?と言うのでソファに座っておとなしくしている。ニーノは例のリゾート施設チラシを手にデザイナーらしい人とPCに向かっている。新しいヴァージョンのチラシでも作るのかもしれない。ビシバシ仕事してるような全身黒尽くめの後ろ姿を見て僕らは「アレなんつうだろ、『ヤンエグ?』でもヤンエグってのは死語?」などと会話を交わしてから外に出て煙草を喫う。ニーノんちは涼しかったけど、街中はやっぱ暑いわ。
あつい
「仕事」は終わったらしいのでヤンエグはまた車を動かし、マリオボロ・ストリートにやってきた。メインの通りを途中から右折してしばらく行くと、何の看板も出ていない建物に入る。薄暗い室内にはゴザが引いてあって、若い子がたくさん座ったり何やら話し合ったりしている。僕らはそこを突っ切って更に別の部屋に向かうと、ここでもまたミーティングをしていた。あ、プートリが居る、と手を振るが彼女もミーティング参加中。おそらくジョグジャ映画祭の今後の対応を相談しているのだと思う。僕らはしばらく外のコンクリートに座っていたが、やがてニーノが出て来て「ごめんね、あと2時間くらいはこんな調子なんで、退屈だろうからマリオボロ辺りに行って来たら?緊急連絡用に携帯を貸すから」と2台持ちしているらしいノキアの電話を渡してくれる。ではお言葉に甘えて、と車で来た道順から類推してこっちかな、という方に歩き出した。途中のコンビニエンスストアで水を買って、しばらく歩くと大通りに出た。地図に寄ればミロタ・バティックの更に先に「迎賓館」があるので行ってみよう。こないだ帰りにでかい建物があったのをそういや見かけていたのであれかも。果たして高い門扉に囲まれた壮大な建物が見えてきましたが残念ながら一般公開はしていないようで閉まっている。仕方ないのでベンチで休んでから(木陰は涼しい。木の根元に捨てられていたジュースを舐めているトカゲなどがおります)、記念写真を撮って戻ろう。とまるで観光客っぽい感じでカメラを構えていると通りかかった女の人がこっちを見ており、ええと何か見覚えが、と思ったらジャカルタのCCFで会ったフランス人スタッフでした。超奇遇、休暇で来ていて明日帰るとのことでしたが手には「ミロタ」と書かれた長いビニールを持っていて何すかそれ、と聞いたら「傘」だそうでした。
じゃあ自分らもミロタへ、と一昨日も来たけどもっかい入る。2階の土産物屋コーナーのすみっこに大量の木彫りのチンコがあり、中には栓抜きになってるのもありましたがこれは何かの縁起物か。イマイズミコーイチはマネキンが着ていた黒いサルン風の布が欲しい、と探しまわってましたがどうにも見つからないので諦め、自分は一階でバティックのネクタイを買いました。500円くらいだけどそれ以下の値段で買えるシャツはいっぱいあるのでよく考えると高級品かも。そろそろ時間になったのでさっきの建物に戻る。入り口で「Q-MINITY(映画祭実行委員会)?」と聞かれたのでうん、と答えて奥に入るとあれ、さっきの部屋には誰もいない。表に出て道路を確認するとニーノの車も無い。移動しちゃってるね、と携帯にかけてみる。「いまどこ?あ、戻って来たんだ、じゃあ10分以内にボクも車で戻る」とのことで入り口付近の、人が車座に座っている辺りでぼんやりしていると女の子が声をかけてくれて、「お弁当があるのよ、あとこれ飲む?」と紙箱入りの弁当と紫色の飲み物をくれる。ありがとう、と受け取って紙箱を開けてみると丸ごとの魚とかが入ったけっこう本格的なごはん、そうだね今日はいつ食べられるか判らないからいただきます。謎のドリンクは何かの果実茶のような、温かくて甘酸っぱい飲み物でした。半分も食べていないうちにニーノが入って来て、スタッフに混じって飯食ってる自分らを見つけて笑う。彼はしばらく残っていたスタッフに何やら話をしているので、イマイズミコーイチが「若きリーダー」って感じだねえ、と感に堪えないといった調子で感想を述べる。ヤングリーダーね、自分は内田春菊の四コマにあった「ヤンエグとは何か?」「1. ヤングでえぐい人」「2. ヤンキーでえぐい人」というのを何故か思い出していました。
これはえぐいような、そうでもないような
やがてニーノがこっちに向き直り、「そうそう、君の友達からは連絡が来た?」と聞いてくる。今日は偶然フランス在住の友人セバスチャン(以下セバと略す)がジャカルタからジョグジャに長距離電車で来る、というので会えるかな?と言っていたのだったがセバは「一応到着予定は5時になってるんだけど、全く当てにならないので会えるかどうか判らない」とメッセージを送って来ていた。ニーノの携帯を借りて彼のローカル番号にかけてみると「まだ電車、ただし自分がどの辺にいるのかさっぱり判らない」とのことでううむ、さすがに8時間もかかるのでは本人にも現在地の手がかりは無いみたいでした。到着駅はここからすぐなので、空港に行く時間から逆算して7時くらいまではいられるから、と彼が乗っている電車の名前と号車を聞き取ってメモに書き落とす。あ、この電話は友達のだけど多分彼は君が着く頃には一緒にいないので、と伝えて電話を切り、「取りあえず駅で待つ事にする」と伝えるとニーノは「判った、そこまで送っていく。ごめんね、今日はそのくらいまでしか一緒にいられないので、後はタクシー拾って自力で空港に行ってもらえるかな?」とのことでオッケー、参りましょう。さっきお弁当をくれたナンシーという女の子に頼んで3人で写真を撮って、ごちそうさまでした、このエビせんは食べきれないのでもらっていきますさようなら、映画祭がこれ以上の妨害を受けない事を祈っています。
駅に向かう車の中でニーノは「何かバタバタしてて…明後日からベイルートのはずだったんだけど、不手際でヴィザが間に合わなそうで」と渋い顔して言う。この人も何だか飛び回っていて、事前に聞いていた予定はマレーシア→ジョグジャ→カリムンジャワ→ジョグジャ→レバノンって3週間くらいの間でけっこうな移動予定だが、いま聞いた感じではレバノン行きはどうもダメ、みたいだ。ちなみにベイルートの用事は「若手アクティヴィスト養成」だそうでこれでリゾート経営もやってるとしたら果たしていつ寝てるのか、という感じではある。そういや今回到着した時に彼は、「今回は自分がジョグジャの映画祭のディレクターでなくて残念なんだけど、(来年)30歳になるまでに国際的に若い世代の育成をしたいと思っている。30代は…きっと地元に戻って活動するから、そしたら映画祭もやると思う。したらまた来て」と言ってた。しかし明確な人生の予定、たぶん相手にすべきものがいっぱいある、という事なのだろうとは思うのだが、それにしても7年前に会った時にこんな成長をする小僧だとは(まあ、目立つ子ではあったんだけど)正直思っていませんでした。などと感慨にふけっているとニーノは「でもってセバはゲイ?かわいい?」とすかさず聞いてくるのであ、やっぱあんま変わってない、と自分は笑いをかみ殺しながら「超かわいいけど、残念ながらゲイじゃない(はず)」とお答えする。そういやこの2人はだいたい同い年くらいで、自分が彼らに出会ったのもほぼ同じ頃だったわ、と気がついた。
若い世代を育成するヤングリーダー(左端の黒服)
TUGU駅はジョグジャの中央駅で、一昨日自分らがタクシープールを探してうろうろしたところである。駐車場に車を止めてから駅の構内に入る、にはどうしたらいいんだと思っていたらニーノは入場券を買ってくれて、改札を通ってホームに向かう。いきなり上の方で工事している。溶接の火花が飛び散る中をひゃあ、とか言いながら反対側に渡って、「ジャカルタからならこっち側に停まるはず。ああそこに喫茶店があるから、セバに君らが待っている店の名前をSMSで送っておくよ」とニーノ。ありがと、セバが乗ってる電車の名前も判ってるし、と言うとニーノは「じゃあどのくらい遅れているか(もう5時は過ぎていた)聞いてみよう」と一旦改札を出て事務所で聞くと「6時くらい、だって」てなことでじゃあ40分くらい待てばいいかんじかな、当てにならないけど。とか言っていたらニーノが急に「あ、電車来たよ!」と叫ぶ(おいおいおい)。本当に来てしまった電車につられて自分は進行方向に一人で動いていく。2号車に乗っている、と聞いていたのだが車体を見てもいまいちどれが2号車なのか判らない。まあこの規模のホームであればどこから降りて来ても見逃さないかなとは思うのだけど…、どこだ。と離れたところで「居たよ!」とニーノの呼ぶ声がして、振り向くと僕らが元々居た辺りにニーノ、イマイズミコーイチ、そして笑えるくらいの大荷物を抱えたセバが手を振っている。
いやあ来たねえ、会えたねえ、インドネシアの電車はいい加減だねえ、と笑って、何よりニーノとセバ(と自分ら)がジョグジャカルタの駅で会ってる、というのがおかしくてならないがとにかくニーノ様々である。僕らだけでは入場券すら買えなかったであろう。セバに「今日はこれからどこへ行くの?」と聞くと「LIPの友達のところに泊めてもらう」と言うのでLIP(フランス文化センター、ジャカルタのCCFと同じような施設)って映画祭の会場じゃんけ。それを聞くとニーノ様々は「なら3人ともそこまで送ってくよ、君らはLIPで空港行きのタクシーを呼んでもらえばいい」と言ってくれるのでさすがに君の時間は平気なの、と心配して聞くと「だい・じょうぶ」でホントに何と言っていいのかもう。じゃあ駐車場へ、と思ったらセバが乗って来た電車が通路を塞いでいて渡れない。車内を突っ切ろうとするが反対側はホームじゃないので行けず、もうどうなってんだこの駅は、と苦笑するが「ま、待ってれば出てくよ」としばらくホームに居残る。やっと電車が出発して、僕らは車に戻って、降ろしたばかりの荷物を全部+セバの大荷物を詰めて出発した。微妙に雨がぱらついて、辺りは暗くなり始めている。車内で怒濤のようにお互いの近況を交換したあと、自分は非常に愉快な気分でニーノとセバが話しているのを聞いている。
向こう側に行きたいのに
LIPに着いた。ここは「初戀」上映の時に来た事がある。懐かしいねえ変わってないや、とぞろぞろ大荷物を引きずって僕らは屋外のカフェに座り、ニーノとセバはここの責任者であるマリという女性と話をしている。マリは「あらあなた達、知り合いだったの?」とか言ってるようだがニーノは「イッツァスモール・ワールド」などと笑っている。ニーノはマリに僕らのタクシーを頼んでくれ、「7時に来るように手配して、って言っといた(マリに「フライトは8時半で」と言ったら「そうね、じゃあここを7時に出れば充分よ」と言ってた)。一応10分前に念押ししてみて」と言い、「じゃあここでお別れしなきゃ。あんまり一緒に居られなくてごめんね、今度はゆっくり会いたいね」いや、充分すぎるくらいだよ、とニーノを抱きしめて、何か予定はちゃんと立ってないみたいだけどセバがなんかパフォーマンスする時に時間があったら見に行ってあげて、とヤングリーダーに最後のお願い(さっき車内で「やっぱセバはゲイじゃないね」との一言)。ありがとうございますチームハバカリ、ふれあい二人旅(今がけっこう今回の旅におけるピークかもしれん、とか思いながら)。
はああああ疲れた、お茶飲みたい。とセバに(なんでだよ)言うと彼はインドネシア語で「お茶でいい?」と聞くので「うん」と答え、その後も何か聞いてくるのだが僕らは彼ほどインドネシア語知らないので適当にうん、とか言う。で、しばらくしても何も来ないのでセバは忘れてるかね、と自分らでカフェに行ってボトル入りの甘い紅茶を買って飲む。同じテーブルにはセバの友達(画家)が座っているのでご挨拶、あとはお互いの撮った写真などを見せ合って、日本語とインドネシア語と英語をごちゃまぜにしながらそれぞれのインドネシア旅行を報告する。セバと初めて会ったのは東京で、同じダンスプロジェクトの音楽担当としてだったのだがその後も彼は何度も日本に来てはライブと展覧会を(ドローイングもする)やって、日本以外にも実に色んなアジア諸国を回るようになったのだが今回も半年くらいかけて日本、インドネシア、台湾、フィリピンなどとツアーをしている。先月も東京(自宅)で会ったんだけどその時はインドネシアでは日程が微妙に合わなそうで会えないかもね、と言っていたのだったがギリギリすれ違うことができた。しかもジャカルタのホテルは僕らと同じフォーミュラ湾でした(「フランス系のホテルで、一番安い」とのこと)。あれお茶が来た。しかもホット。さっきセバがインドネシア語で聞いてきたのは「ホット?コールド?」だったらしい。で僕らがいい加減に「ホット」を頼んだ事になってしまっていた。ごめん、次回までにもちっとバハサ・インドネシアを学んで参ります、と2杯目のお茶を口にする。
おまけ:肥料猫
今の時刻は6時40分、あと20分したら出ないといけない。セバに「タクシーが来るか、マリに聞いてもらえるかな?」と頼むと「オキ」と席を立ち、やがて戻って来た彼は「だいじょうぶ、来る。マリはいつもタクシ使ってるから、呼べばすぐ来るって」だそうでした。あと15分くらい、とても時間が惜しい。ああこのエビせん、あげる。セバはこれからジョグジャに数週間滞在するそうで、僕らはこれからバリに行く。ちょっとでも会えて本当に良かった。ついにタクシーは来てしまい、セバともここでお別れだ。展覧会もライブも、あと子供向けのワークショップもするようなのだけど予定は全部行き当たりばったりっぽいですが、うまくいくといいね、とセバと抱き合って、またね。元気でね。ああ自分らが行けなかったフライドチキンの「アヤムゴレン・スハルティ」についでがあったら行ってみて、とメモを渡してから、僕らと荷物を乗せたマリ(あ、お礼とお別れを言うのを忘れた)御用達のタクシーは空港に向かって走り出す。
空港にはすぐ着いた。国内線でチェックインして待ち合いロビーに向かう。だだだっと椅子が敷き詰められた広い空間の、片側が搭乗口で周りがお店とか喫煙所とかトイレとか。ここでもまた自分らが乗る便はどんどん飛ばされていくが一応表示はされているのでまあ飛ぶであろう。ちょっとお腹減った、とレストランの入り口にある商店でポテトチップを選んでみるけど(高い)どれもこれも工夫を凝らしたフレイバーのばっかりで、ただの塩味とかがない。ひとつパッケージに海苔巻きが描いてあるものがあったので何だろう、とよく見たら「海苔味」でした。ともかく寿司味ではないようなのでそれにして開けてみたら、コイケヤのり塩とは全く違って甘めの味付けでした。30分ほど遅れただろうか、結局自分らの便が最後で呼ばれてみんなぞろぞろ向かう。今回はライオンエアー、んでもってまたしても非常口の隣でインドネシア航空業界は本気で僕らを非常係にしたいのか。行きに乗ったバタビアエアーと違ってパンも水も出ませんでしたが、アテンダントさん(みんな女性)のスリットがすんごい深いね、とイマイズミコーイチはそればかりが気になるようでした。
のりあじ
時差が+1あるので飛行時間は1時間だけれど9時に出て11時にデンパサールに到着。夜の国内線なので静かなもんですが、荷物がなかなか出て来ない。やっとこさ引き取って表に出るとお迎えの人が居たのでこんばんは。煙草に火をつけて駐車場まで歩く。停められていたバンは黒くて業務用っぽく、なんかホテルのURLが書いてあるのでこの人たちはホテルからの迎えのようだ。「日本から?」「ビジネス?」などと聞かれるので「ビジネスじゃない」と答えると何故か「ふふふ」といった感じで笑う。何じゃらほい。「30分くらいで」と言われて車は空港郊外から見覚えのある、こないだ滞在した辺りを抜けて更にあまり人通りの無い場所へやって来た。もうここはどこだか判らないが、やがて真っ暗な場所に建つ小さめのホテルに着いた。フロントでチェックインをしてキーをもらう。中に入るといきなり全裸男性の絵とかかけてあってこれはもしかしてあれですか、3年前にジョン達が泊まっていて何だそれは、と言っていた憶えのあるゲイホテルってやつでしょうか。サービスのいい事に最初にwifiのコードをくれたので、部屋(これがまた素敵な内装で…)で調べてみたらビンゴでした、これ。笑うしか無い。もう12時過ぎになっていてホテル内のバーもレストランも閉まっており、外に出かければまだ開いているお店はいくらでもあるのだろうけれどちょっと気力が無いので明日朝食を早めにしよう、とシャワーを浴びて就寝した。
インドネシア・ジャカルタ編
2010.0929 成田発仁川経由ジャカルタ行
2010.0930 二泊目
2010.1001 三泊目
2010.1002 「傘脱」上映
カナダ・バンクーバー編へ
インドネシア・ジョグジャカルタ編
2010.1008 香港経由ジャカルタ経由ジョグジャカルタ行
2010.1009 二泊目
2010.1010 三泊目
2010.1011 四泊目
2010.1012 五泊目
2010.1013 ジョグジャカルタ発バリ行
インドネシア・バリ編
2010.1014 クロボカン2時間徒歩
2010.1015 長編1本
2010.1016 バリ発ジャカルタ経由仁川経由成田行